何種類もある「旧字体」(1)

うっかりしたことに、今まで「戦前の人たちはどのような字体で書いていたのか」ということについて、あまり真剣に考えていませんでした。戦前? 旧字体でしょ、と。本当はそんなに簡単なものじゃありません。そもそも「旧字体」として括れる明々白々とした単一の集合はないのです。そんなことを大熊肇さんの『tonan’s blog』は気づかせてくれました。感謝。


上記リンクで述べられているように、この「戦前の人たちはどのような字体で書いていたのか」という問いかけに、もっとも熱心に答えているのは江守賢治さんでしょう。この方は文部省在籍当時は書写、書道、美術の教科書調査官を務め*1、退職後は日本習字普及協会で習字教育の指導にあたっておられる方。書家でもあります。著作も多いのですが、さしあたり入手しやすいものとしては『楷行草 筆順・字体字典』、それから短く端的にまとまっている『硬筆毛筆書写検定理論問題のすべて―文部省認定』、加えて絶版ながら委細を尽くした『解説 字体辞典』をお勧めしておきましょう。

江守説の大きなポイントは「活字(明朝体)の旧字体」と「書き文字(楷書)の旧字体」を区別することです*2。前者は唐代の顔真卿の書、開成石経など見られるものであり、これが清代になって康熙字典(1716年)の親字に採用されます*3。字源に近いと思われる小篆のデザインをなるべく明朝体に反映させようとしたところに特徴があります(たとえば「ソ」と「ハ」の違いのうち後者を指す)。

19世紀中葉、ヨーロッパやアメリカのキリスト教会が中国に進出、漢字による活版印刷をはじめますが、ここで明朝体デザインの元になったのが、他ならぬ康熙字典でした。明治初年に長崎にもたらされ、のちに初期の築地活版製造所で使われた明朝体は、このミッションプレスの明朝体そのものです。今見るとデザインがぎこちなく、バランスにも難がありますが、これを少しずつ改刻していくことで今日私たちが目にするような明朝体が確立されていったわけです*4。諸橋大漢和をはじめとして多くの漢和辞典の字体も康熙字典の強い影響をうけています。

一方で「書き文字(楷書)の旧字体」とは何か。これは伝統的な「楷書本来の形」です。江守説によれば、さらに「旧字体」と「書写体」の2つに分けられます。まず旧字体とは当用漢字字体表の制定されたことで「旧字」になったもの。すなわち新字体以前の「標準的」な書き文字の字体です。では書写体とはなにか。江守さんは以下のように説明します。

昔は、活字による印刷というものがないために、それほど字の形に対して規格の統一が要求されず(略)たとい、一つの字について二つ以上の形があっても、それほど障害にはならず、抵抗や不便もあまり感じなかったのでしょう。(略)昔から、漢字を書く場合は、かなり自由であったわけです。それらのうちからしだいに最も普通の形、標準になる形が決まってきました(引用者註、これが「旧字体」)。そして、それ以外の字にも、それほど抵抗を感じない字と、かなり抵抗を感じたり、異様な字だとか、誤字、うそ字ではないかとさえ思われるような字が出てきたのです。普通の形や標準になる形以外の字、それがすなわち書写体です。(江守賢治『漢字字体の解明』日本習字普及協会、1965年)

この旧字体と書写体こそが実際に書かれてきた形であり篆書、隷書、楷行草の形として発展してきたものだと。なのに、漢和辞典では書写体を「俗字」と呼んで排斥した、そう言って江守さんは怒ります*5

さて、ここまでを整理すると、以下のようになりましょう。

  1. 活字(明朝体)の旧字体……顔真卿や開成石経に始まり、康熙字典にまとまった字体
  2. 書き文字(楷書)の旧字体……顔真卿や開成石経の流れを除いた、伝統的な手書き字体
    1. 旧字体……伝統的な手書き字体のうち標準的な字体
    2. 書写体……上記以外の異体字
  3. 書き文字(楷書)の新字体……現在の常用漢字表で示されている明朝体を手書きにした字体


上記に次のものも加えてよいでしょう。


では、これらを江守さんの著書により実際に見てみましょう。(『硬筆毛筆書写検定理論問題のすべて』江守賢治、日本習字普及協会、1995年、p.99、p.101)


上が2-1の伝統的な手書き旧字体、下が3の手書き新字体




上が1の活字の旧字体、下が3の手書き新字体




上から、2-1の手書き旧字体、1の活字の旧字体、3の手書き新字体。同じ「旧字体」でも手書き(上段)と活字(中段)とで形が違う。




上から、2-1の手書き旧字体、1の活字の旧字体、3の手書き新字体。手書きの旧字体と手書きの新字体が同じであることに注意。




これも上と同じパターン。上から、2-1の手書き旧字体、1の活字の旧字体、3の手書き新字体。手書きの旧字体と手書きの新字体が同じ。




上が2-2の書写体、下が4の書き文字の新字体。「ハシゴ高」は「旧字体」としてもよいように思うが、どうでしょう?



この項、もう何回かつづきます。

*1:在籍は1947〜1976年、教科書調査官は1956年から。

*2:『似而非楷書』江守賢治、字と美出版社、1997年、PP.113-114

*3:江守さんはここで説文解字の小篆もここに入れていますが、これにはもうすこし検討が必要と思われます。なぜならオリジナルの説文の親字が小篆であったことは間違いないにしても、原文はすでに失われて久しいからです。一般に「説文の小篆」と言えば、それは清代の段玉裁による『説文解字注』(1807年)のものでしょう。しかしここにある小篆がどこまでオリジナルに近いとできるか、すくなくとも江守論文にその言及はありません。またこの小篆と康熙字典の関係も興味深いテーマですが、これについての研究をまだ見つけられずにいます。

*4:『本と活字の歴史事典』(印刷史研究会編、柏書房、2000年)所収の小宮山博史明朝体、日本への伝播と改刻」pp.382-383

*5:その怒りが『似而非楷書』という強烈な書名になるわけです。ここで言う「似而非」とは「活字(明朝体)の旧字体」を手書きの楷書で書くこと。