第27回漢字小委員会詳報

この日の議事は、前回における音訓の討議で出された諸問題を協議する前半と、字体を討議する後半に分けて行われた。ここでは後半の議論を詳報する。なお、これはあくまで速報を目的とした当日のノートによる再現であり、一部を省略したことにより不正確な表現が含まれているはずだ。正確には後日公開されるはずの議事録によられたい。


まず氏原主任国語調査官から資料2「追加字種(191字)表(人名用漢字との対応表)」に沿って資料説明がおこなわれた*1

その冒頭、江守賢治氏から提出され、委員限りで配布された参考資料3「《チョク・みことのり》の字について」に対し、特に阿辻委員を指名して漢字ワーキンググループでの検討結果が報告された。進行としてはかなり異例なものだが、文部省OBとして、また文字学の長老として名高い人物からの文書ゆえに、扱いに苦慮したものと考えられる。また会議冒頭に遡るが、普段滅多に発言しない国語課長から、今後外部から提出された意見については、パブリックレビューの際に一括審議すると特に説明があった。この参考資料3の扱いは今回限りの特別なものとしたい意図があるようだ。さておき、阿辻委員の報告は以下の通り。

  • この文書は現行の常用漢字表に「勅」として掲載されている文字の字体が、歴史的に間違ったものであることを数多くの資料から立証しようとしたもの。
  • この中に書かれていることについては、文字学的に間違いはなく、敬服の至りである。
  • ただし歴史的考証の上から正しいとされる字体が、現実の文字使用と必ずしも一致するわけではない。
  • 学問的な検証の結果で字体を変更するのであれば、「勅」以外にいじらなければならないものは他にもある。例えば野原を指す「野」の字体は、本来「埜」が正統である。

この後、氏原主任国語調査官による資料説明に戻った。そこでの要旨は以下の通り。

  • ここでの論点は現行の表内字の字体を揃えるかどうかである。
  • 同時に、追加字種のほとんどは人名用漢字に含まれており、この問題は人名用漢字に直結していると言える。
  • じつは常用漢字表では、すべての部分字体を同じものに統一していない。たとえば「払」と「沸」、「独」と「濁」などである。
  • これについて、たとえば山田忠雄は『当用漢字の新字体』において、『宋元以来俗字譜』にもある「シ虫」ではなく「濁」を採用したのは不統一であるという指摘をしている。
  • では、なぜこのような不統一があるのか。その理由は1949年当用漢字字体表制定当時の安藤主査委員長報告の一文「簡易字体の歴史的因縁の浅いものでも、社会的慣用が相当有力であると認められるものは、なるべくこれを採用する」からも明らかだ。
  • つまり国語施策では書物にあるかどうかが基準なのではなく、あくまでも社会的慣用、字体の安定性を重視してきた。
  • こうした結果、常用漢字表では、ある字体は簡易体になり、ある字体はいわゆる康煕字典体という不統一が生まれた。
  • これは表外漢字字体表にも受け継がれており、〈字体使用の実態を混乱させないことを最優先とする考え〉(表外漢字字体表作成に当たっての基本的な考え方)が明記されている。
  • 表外漢字字体表の審議では数多くの頻度調査を繰り返し、その結果、圧倒的に世の中では、表外字ではいわゆる康煕字典体が使われていることが明らかになった。
  • 表外漢字字体表の答申当時、常用漢字表との間で字体の不統一を指摘する声もあったが、社会的慣用を重視するという点では一貫している。
  • 常用漢字表の審議当時は、表外字を認めない当用漢字字体表が施行されており、その意味で表外字は存在していなかったとも言える。しかし、今日では表外漢字字体表の印刷標準字体がある。
  • ただし、表外漢字字体表では表外字として検討したのだから、これをそのまま表内字の字体とするかどうか異論もあるだろう。
  • とはいえ、これは国の政策として決めたもの。先の懇談会におけるマイクロソフト加治佐氏の指摘によれば、以前は安定していなかった情報機器における表外字の字体が、JISが表外漢字字体表に対応したことにより、ようやく安定してきたとのこと。これを変更すれば、また混乱が生じてしまう。
  • 同様に人名用漢字で2004年に追加した字体は、表外漢字字体表と同じ字体であり、これを変更すれば人名用漢字への影響も避けられない。
  • 参考資料2「文部省活字」を見ても分かるとおり、戦前の文部省活字でも略字体といわゆる康煕字典体は混在している。
  • また教科書調査でも一点と二点のしんにょうが混在している実態がある。

つづいて討議に移った。議論の概要は以下の通り。

  • 甲斐委員:話はよく分かったが、常用漢字の方が表外字よりももっと厳しく考えるべきもの。これまでの漢字の字体がどうであったかということよりも、これから二十数年間使われるべきものが新常用漢字表の字体。どうしても変えるのであれば、そういう字体は三十字にならない程度の少数だろうから、カッコでいわゆる康煕字典体を括るべきではないか。
  • 金武委員:甲斐委員に賛成。表外字の字体がいわゆる康煕字典体が優勢であるのは明らかだ。しかし常用漢字表に入ったら、常用漢字表の世界に従うのが分かりやすい。食偏などは統一されるべき。30字マイナス程度なら、常用漢字表の字体の原則に従うべきだろう。
  • 阿辻委員:(発言の前半ノートが追いつかず未詳)反対。学校で習う字体と自分の名前の字体が変わってしまうことになる。
  • 納屋委員:施策の安定性が重要である。教育のことを考えれば字体は統一すべきと一瞬考えてしまったが、しんにょうは一点でも二点でも大丈夫だと教えるチャンスでもある。
  • 杉戸清樹委員(国立国語研究所長):カッコ内にいわゆる康煕字典体を入れると、全体でカッコが増えることになる。その場合はカッコの位置づけが問題になるだろう。現状では〈これは明治以来行われてきた活字の字体とのつながりを示すために添えたもの〉としか書かれておらず、意図が明確でない。コンピュータで扱うことができる字が増えてきた現実がある。だからこそ字体は明確に示すべきである。
  • 金武委員:人名用漢字というものは字体を決めたものではないが、ここにある字体しか子供の名前に使えないものだ。「遜」などは新常用漢字表に一点しんにょうの字体が入れば、結果として一点と二点の両方の字体が使用可能になり、その結果国民の選択の自由は増える。
  • 林副主査:字体では活字と手書きは分けて考えた方が良いのではないか。活字においては表外漢字字体表の考え方を守らなければならない。しかし手書きでは別だ。たとえば「箸」と「者」で一点の有無の区別を問題にするのは無意味。字体を変えるとコストと時間がかかる。情報機器の対応に10〜15年かかるというのは、現実的には対応不可能ということだ。
  • 甲斐委員:杉戸委員の意見に反対。現在のままでよい。当用漢字表の当時は字体が確定していなかった。カッコは将来消すつもりで入れた*2。二点を括弧に入れ、一点を示すべき。そんなに沢山あるわけではない。教師が子供に「遡」がなぜ二点しんにょうなのか聞かれたら、これに答えるのは大変なこと。ぜひ一字一字を個別に審議したい。そんなに沢山あるわけではない。
  • 阿辻委員:「遡」については表外漢字字体表で「印刷文字字形(明朝体活字)と筆写の楷書との関係」において明記されている。ここでは印刷字体と手書き字体の関係を説明しているわけだが、これを新常用漢字表でもうまく活用できないだろうか。本表ではアステリスク等で示して、ここに飛ばし、詳しく説明する。本表の中に複数の字体を並列させるよりもよい。
  • 武元委員:教科書の中で一点しんにょうと二点しんにょうがあるのは、カッコで示されているから*3。学校では撥ねる撥ねないでバツをつけ、それに対し保護者から質問が来るような現実がある。そういう意味からは統一できるものはなるべく統一した方がよい。
  • 氏原主任国語調査官:補足したい。常用漢字表でカッコをつけたのは、将来なくすためではない。むしろその反対でずっと付けたままにしようというのが趣旨*4常用漢字表の審議当時、当用漢字字体表では旧字体が貶められたという問題提起がされた。ここでの趣旨は現代仮名遣における〈歴史的仮名遣いは、明治以降、「現代かなづかい」(昭和21年内閣告示第33号)の行われる以前には、社会一般の基準として行われていたものであり、今日においても,歴史的仮名遣いで書かれた文献などを読む機会は多い。歴史的仮名遣いが,我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない〉というものとまったく同じもの。伝統の継承という趣旨である。
  • 杉戸委員:カッコは常用漢字表ができた時の考え方によるものであり、その後の時代の変化によりカッコの位置づけが変わってきている。そこを心配している。阿辻委員の言うような方法は妙案。しかしもしも残すのであれば、趣旨を明確にすべきと考える。

ここで時間を15分超過して、前田主査が議論を継続することを述べ、ここまでとなった。なお、終会にあたり前田主査から情報化時代という視点からの発言があってもよいのではないかとの指摘があった。

*1:この資料そのもので示されている字体は、前回配布の同名資料と同一であり、その意味で既に先月から字体は示されていたとも言える(更にいえば、5月の字種案の時点から追加字種はいわゆる康煕字典体で表記されていた)。現時点で第26回の配布資料は未公開だが、現行の常用漢字表の本表と同じ形式、つまり漢字、音訓、例、備考の4つの欄に分けて作成されたもの。きっと小熊さんが公開してくれるのではないでしょうか。

*2:杉戸委員は常用漢字表の康熙別掲字のことを言っているのに対し、甲斐委員は1946年の当用漢字表のカッコ内の字のことを言っており、議論が噛み合っていないように思える。

*3:この部分よく聞き取れず意味不詳。

*4:前述したように、甲斐委員が言ったのは当用漢字表のこと。一方で氏原主任国語調査官が言っているのは常用漢字表で噛み合っていないように思える。