「国家財政に占める軍事費の割合」言説について

はじめに

最初に断っておくと、この文章は誰かに読ませるためと言うより、自分の頭を整理するために書かれる。だから回りくどかったり、変にややこしかったりするが、そこは勘弁してほしい。

その発端

ひょんなことから、ある自治体史の編纂にボランティアで関わることになった。原稿も書かねばならない。お題は3つ。要塞地帯法の制定(明治32年前後)、第二次世界大戦下のくらし(昭和18年前後)、団地開発と人口増加(昭和45年前後)。

どれも興味深いテーマだが、ちょっと厄介なのは前の2つ。昭和6年から20年までの戦争に、さだまった名称がないことからも分かるとおり、いまだに我々の社会では半ばタブーであり、うっかりしたことは書けない。私は歴史ファンであっても専門家ではない。そんな自分でもうまく書く方法はないだろうか。

帝国書院による「軍事費」

そこで統計を切り口にすることを思いついた。日清日露の戦争から昭和20年の敗戦まで、一本の糸でつながっている。当時の国の予算(あるいは決算)における軍事費の割合の推移をたどれば、客観的に日本が戦争にのめり込む様子が、しかも明治から段階を追って書けるのではないか。数字だったら変に解釈が分かれるようなこともないだろうし(これが甘い考えであることに気づくのは、もっと後のこと)。

さっそくネットを調べたところ、以下のようなページに行き着いた。


図1 軍事費(第1期〜昭和20年)(帝国書院、日付不詳)
https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index05.html


これはいい。こんなに早く目的のものに辿りつけるなんて、なんてネットは便利なんだ。そうして第1稿を書きはじめた。ところがその過程でいろんなことが気になってきた。まず、この表にある「国家財政」とは予算なのか、決算なのか。そして軍事費の定義はなにか、また典拠はどこからなのか。さっそく帝国書院に電話したところ、以下のような返答を得た。

  • 数字は予算ではなく決算。
  • 軍事費は陸軍省海軍省の省費と臨時軍事費特別会計*1と徴兵費を合算したもの
  • 典拠については大蔵省「決算書」である。しかし当時の担当者が辞めてしまったため、申し訳ないが詳細はよく分からない。

国史大辞典「軍事費」

さらに調査をすすめると*2国史大辞典」(第4巻、吉川弘文館、1983年)に「軍事費」が立項されており(執筆は佐藤和義)、ここに帝国書院のものとよく似た統計表が載っていることが分かった。ただし、掲載されているのは明治20年〜昭和20年で、帝国書院の方がすこし長期間。そして帝国書院が「年度」「軍事費総額」「国家財政に占める軍事費の比率」の3つの列であるのに対し、「国史大辞典」は「年度」「一般会計と臨時軍事費との純計(A)」「直接軍事費(B)」「B/A」「備考」の5つ。


図2 軍事費の推移(「国史大辞典」第4巻、吉川弘文館、1983年、p.1010)


よく考えると、帝国書院の「国家財政に占める軍事費の比率」というのは、どこからどこまでを指して「国家財政」というのか不透明だ。第一、分母である「国家財政」の数値が書かれていない。その点、「国史大辞典」の方は明確に「B/A」としている。さらに分母となる数値の定義も「一般会計と臨時軍事費との純計」と書いてあり曖昧なところがない。

もうひとつ違いがある。それは両者とも分子(帝国書院は「軍事費」、国史大辞典は「直接軍事費」)の定義は同じなのに、その数値が違うことだ。たとえば帝国書院では明治20年が「22,238」なのに対し、国史大辞典では「22,452」(単位は1,000円)であって、つまり21万4千円の差分がある。表の最大の桁は10億円なので、まあ、多いような少ないような微妙な違いではあるが、両者で同じ数値がない、すべて違っているというのが非常に気になる。

両者の比較

いったいどちらが正しいのか? 原稿を書くに当たって、どちらかを選ばなくてはならないのだが、じつのところ両方とも難がある。ここまで述べてきたように、全体的には国史大辞典に軍配が上がる。しかし、分からないのは国史大辞典は「一般会計と臨時軍事費との純計」を国の財政全体としているように読めることだ。本文には、以下のような記述がある。

戦前期日本財政を貫く特徴は、軍事費の比率がきわめて高いことである。財政支出(一般会計と臨時軍事費特別会計の純計)に占める軍事費の比率は最低でも三割近くあり、最高は九割近くになる。(同書第4巻、p.1011)


ここでは日本の財政支出そのものを「一般会計と臨時軍事費特別会計の純計」と定義していると読めるのである。しかし本当にそうなのか。戦前期の特別会計は臨時軍事費だけなのか。この点がぽっかり空いた黒い穴となって、この「軍事費」項の信頼性に疑問を持たせているように思える。

その点、帝国書院の方は少なくとも項目間での破綻はない。しかし、定義が不明で信頼に足らないのは前述のとおり。

とはいえ、全般的な数字の傾向(日清、日露、日中戦争〜太平洋戦争に大きなピークがあり、後になるほど高率の期間が長くなる)は同じものだったので、この段階の私はあまり細かなことは気にせず、数字の検証は後回しにして原稿を完成させることに注力していた。具体的には最初にみつけた帝国書院の数値を使ったまま書き進めた。帝国書院の数値が違っていれば、国史大辞典の数値に差し替えてグラフを再作成すればいいだけだ。論旨に変更はないのだから後でゆっくり調べよう(もちろん今は後悔している)。


『昭和財政史』第4巻「臨時軍事費」

さて、原稿を書き終わった。編纂委員会との調整もすんで文言のチェックも受けた。あとは自治体に提出してチェックを受けるだけだ。その前に今まで先送りしていた懸案事項を片づけよう。そうして「国家財政に占める軍事費の比率」の検証に取りかかった。

まず国史大辞典において、出典として明記している『昭和財政史』第4巻(大蔵省昭和財政史編集室編、宇佐美誠次郎執筆、東洋経済新報社、1955年)に当たることにした。これは近隣の図書館に収蔵がなく、結局横浜の神奈川県立図書館に行くことになった。

さて、一読たちどころに分かることは、国史大辞典の「軍事費」項は、『昭和財政史』を忠実に(後述するよう忠実すぎるほどに)踏まえていたということである。まず、以下に見るように表は「備考」を除けば完全に「国史大辞典」と同一である。


図3 明治以降における軍事費の比重(第一表A〜B)(同書、pp.4-5)


そして本文でも以下のように同じ趣旨の表現がある。

歴史的に、日本の財政支出の中で軍事費の占める割合が高いということについては、しばしば指摘されてきたとおりである。陸海軍省費、臨時軍事費、および徴兵費の合計を直接軍事費と見れば、第一表(引用者注:前掲図3のこと)によって知られるように、一般会計と臨時軍事費との純計にたいする直接軍事費の比重は、どんなに低い時でも三割に近く、高い時には九割に近い比重を占めているのである。(同書、p.3)


先に引いた「国史大辞典」の本文が、これを踏まえていることがよく分かるだろう。しかし、読むにつれてこの巻の執筆者、宇佐美誠次郎がなぜ〈日本の財政支出〉を〈一般会計と臨時軍事費との純計〉と単純化したのか、首をひねらざるを得なくなったのである。

以下のページは “WebCatPlus” (国立情報学研究所) において、同書の目次を引用したものだ。

昭和財政史 第4巻 (臨時軍事費)
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/330150.html


これで分かるとおり、特別会計とされたのは臨時軍事費だけではない。目次に現れているだけでも以下のような特別会計が確認できる。


これらは、『昭和財政史』の定義に従えば〈日本の財政支出〉の中に含まれないことになる。しかし、〈財政支出〉という以上は、一般会計とすべての特別会計を合算するべきではないか? なによりも不思議なのは、著者の宇佐見は当時の特別会計が臨時軍事費だけでないことなど先刻承知のはずなのに、このことに頓着していないように思えることだ。もしかしたら、私がなにか根本的な思い違いをいしているのかもしれない。この文章をブログに公開する所以である(じつのところ、『昭和財政史』が正しい方が、私としては安楽なのだが)。

蛇足

『昭和財政史』第4巻「臨時軍事費」の表には、明確な間違いがある。ここまでの論考は別として、この機会に指摘しておく。それは図3で赤字が入っていることからも分かるとおり、「%」(つまり「一般会計と臨時軍事費との純計」に占める「直接軍事費」の割合)の計算が間違っている。そして、国史大辞典はこの誤算をも忠実に再現して掲載している。

図3をみると、全59行のうちじつに24行、41%が間違っている。多くは小数点以下の微細な間違いだが、中には大正9年のように46.8%とされているものが、正しくは60.14%というものもある。この辺りになると暗算でも分かるレベルであり、厳密な校正を繰り返しているだろうこれらの本において、なぜこうした間違いが見過ごされ続けてきたのか、まったく理解不能である。

ここまで書いて思ったのだが、帝国書院が出典を手近な国史大辞典や財政史各巻にせず、あえて〈大蔵省「決算書」〉としているのも気になる。もしも帝国書院が慶応3年まで遡って各年度の決算書を参照した上であの表を作ったとしたら? つまり、それは『昭和財政史』が間違っていたらということだが、すでに書いたように同書に少なくない間違いが含まれていることを知っている身としては、あながち可能性のない話ではないようにおもえるのである(いやいや、まさか……)。どなたか、『昭和財政史』の追試をした人はおられないのだろうか?

おわりに

このように、いったんは書き上げた原稿について、今私はどうすればよいかお手上げ状態になってしまった。さてさて、困った困った。

*1:臨時軍事費特別会計とは、年度ごとの一般会計(陸海軍省費もここに含まれる)とは別勘定の、年限を定めない戦争用の特別会計のこと。

*2:もしかしたら帝国書院の方から教えていただいたのかもしれない。この辺り記憶が曖昧。