第28回漢字小委員会\詳報その2

お待たせしてすみませんでした、昨日のつづきです。
金武委員の発言が重いのは、彼が日本新聞協会という、教育界と並んで大きな影響力をもつ組織から出ているからです。彼の発言の趣旨は、資料2『追加字種・字体」についての基本的な考え方(案〕』(以下、『基本的な考え方』)では、自分の組織(日本新聞協会)をまとめる自信がないというものでした。彼はこの時、心底困った顔をしていました。つまり、金武委員の発言は個人的意見というより、組織人として漢字小委員会/文化庁に「この案のままでは呑めないよ」とシグナルを発したと受け取るべきです。

このシグナルは文化庁にとって重い意味を持つはずです。表外漢字字体表(2000年)の答申直前、土壇場でこれを日本新聞協会に使ってもらうものに修整するため三部首許容という「妥協」がされたことを思い出してください。誤解してほしくないのですが、別に文化庁日本新聞協会に媚びへつらっているわけではない。文化庁は多くの人々に使ってもらえる答申を作らなければならない。つまり彼等にとって第一の使命は「合意の形成」です。そんな彼等にとって、強い影響力をもつ日本新聞協会の意向は、どうしても無視できないわけです。

さて、そんな金武議員に疑問を呈したのが阿辻委員でした。

  • 阿辻委員:金武委員にうかがいたいが、紙媒体で交換される字体とウェブ上で配信される記事の字体に齟齬がおこるということを、どのように考えておられるのか。

これを金武委員はいなしますが、論点はいさざかずれています。

  • 金武委員:現在はJIS改正前のフォントを搭載している機器が相当ある。携帯などもそう。それは当然一点しんにょうで出る。そういう訳で、とりあえずは整合性がとれている。これが総ての情報機器が改正JIS、Windows Vistaのように表示されるようになった場合、逆の問題がおこるのではないか。表外漢字字体表が制定前は、たとえば情報機器ではバツの「鴎」しか出なかった。それを正字体で出せるようにしようとして始まったわけだ。現在はバツの「鴎」は簡易慣用字体として表外漢字字体表に載っていて、正字体と両方出せるようになっている。私は日本人の漢字使用の実態から見れば、活字ではむずかしい正字体を使っていても、書く場合は略字体を使うことが多いので、その場合は略字体も情報機器で出てきた方が便利だと思う。「鴎外」の「鴎」がそうだ。今回の改正で「謙遜」の「遜」などは一点しんにょうをそのまま残して、二点しんにょうも入れればよいと思うのだが、どうもそれはむずかしいようだ。20年とか25年とかという話が出たが、漢字百年の計を考えた場合に、異体字の整理は必要としても、情報機器では、いわゆる康煕字典体と略字体は両方使えた方が良いと思うし、それが国民一般としても使いやすいと思う。今回は国際規格との関係でむずかしいということは分かったが、漢字百年の計を考えたときに、なにかしこりが残っている気がしている。

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場を取りなすように林副主査が乗り出します。いつも思うのですが、この方のバランス感覚、空気の読み方は端倪すべからざるものがある*1

  • 林副主査:大筋を整理したい。私たちは一点しんにょうと二点しんにょうの区別を、わざわざ残したいと思っているわけではない。甲斐委員のおっしゃるように国民の使いやすさを重視した上で、もしも一点しんにょうに統一した場合にどういう事態が発生するかを考えたい。私自身も統一できるものなら統一したい。これは当たり前のこと。しかし、それをすると国際規格はもちろん、他にも混乱が予想される。実際には表内字の略字体と、表外字のいわゆる康煕字典体とを混ぜて使っている。では、そこで混乱があるかというとないのが現実だ。文字というものは、書く面と読む面の二つがある。どこが違うかというと、書く文字を習得する際には、楷書体を中心とした字体規範がどうしても必要になる。しかし読む字というのは割合アバウト。点の数などは区別しない。今日もテレビを見ていると、「謎」は一点と二点が混在しており、それが現実だ。総合的に見てむずかしければ、極力混乱が生じないよう、新聞界においてもわざわざ扱いを変えなくてもよいような方向で、国民の同意を得るというのが一番重要なことだろう。

ここで略字体派に反対する立場から発言を繰り返していた阿辻委員が、腹に据えかねるという感じで手を挙げます。

  • 阿辻委員:委員としてではなく、一人の漢字研究者として発言するが、「曽」と「曾」、あるいはしんにょうの一点と二点の違い、あるいは三部首、これらを同じ字と認定するのは、漢字研究としてはムチャクチャな話だ。これらは明らかに違う字体。それが漢字研究をしている一個人の認識。一方、施策として既に定まっている規格があるわけで、これに対して文句を言うのは可能。しかしそれは徒手空拳であり、良い意味でも悪い意味でもニッチもサッチもいかないのが現実。もしも50年後、100年後に字体を統一するというのであれば、活版印刷の時代であればいざ知らず、現状では規格の根幹をいじらない限り、どうにもならない。卑俗なことを言わせてもらえば、何十年前の問題のツケを、我々が飲み食いしたのではないにもかかわらず払わされているという印象は拭えない。50年後、100年後に、新たな、より望ましい規格を作るなら、規格の根幹をふくめて、なんらかの社会的基盤から手を付けるしかないだろう。現状で国語施策として何らかの形にするのであれば、良い意味でも悪い意味でも規格から外れることはできないというのが、委員として出させてもらっている者としての発言だ。

ここまで概ね委員達の発言は再現できている自信はあるのですが、じつはこの発言に関してはちょっと自信がない。矛盾があるのです。本当にこんな事を言ったのか? 「何十年前の問題のツケ」云々というのは、よくぞ言ったという発言です。INTERNET Watchの連載でも同じ表現で同じ趣旨のことを書いたので、メモをとりながら少し興奮してしまいました*2。しかし他の部分については理屈が通りません。まず漢字学者である阿辻委員が、自分の研究においてしんにょうの点の数を区別するのは当然すぎるほど当然です。しかしそれは常用漢字表前文2に言う「各種専門分野」の話であり、常用漢字表が適用範囲とする「一般の社会生活」とは別の話です。つまり問題にならないことを問題にしている。さらに文字コード規格をいじることが、なぜ50年後、100年後の話につながるのか理解できない。規格をいじれば影響はもっと短期間で現れます。阿辻委員の言い間違いか、ぼくのノートの取り間違いか、どちらかではないかと思われます。それはともかく、ここで再び甲斐委員の発言。

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  • 甲斐委員:いろいろと事情が分かってきた。新常用漢字表では、しんにょう、食偏は簡単なものにして(小形注:略字体にして)、どこかに注をつけて、「新たに追加する字種の字体については、当面の間は表外漢字字体表に掲げる印刷標準字体とする」とする案を提案したい。

前半の暴発ぶりとは打って変わった具体的な妥協案です。柔軟な姿勢は好感が持てる。しかし前田主査はそれと正反対のことを呼びかけます。

  • 前田主査:ただ今の甲斐委員のご発言は……(よく聞き取れない)。時間が定刻よりだいぶ過ぎてしまった。疑問のある字に説明が必要ではないかという指摘があった。そういった点は、これから凡例が必要になってくると思う。たとえばそういうものでなるべく分かりやすく説明を付け加えるととして、大筋としては今のような考え方より他に方法はないことは、お認めいただけるのではないか。具体的には次回考えるとして、大筋では今の方向で進めることをお認めいただけないか。

(沈黙)

  • 前田主査:それではそういうことで(了承された)。他に国語教育の問題、情報機器の問題、関連の説明の仕方の問題などで意見はないか。

この時点で常用漢字表に追加される字種の字体は、いわゆる康煕字典体を基本とすることが大筋として了承されたわけです。ここで松村委員が発言。この方はかつて追加字種の文字数の問題で、2,000字という数が出る度に大幅増に反対する発言を繰り返していました。つまり教育界の利益を代表する立場から積極的に発言してきた方です。その人が字体についてはどのように考えているのか、個人的にはかなり注目していました。

  • 松村委員:前回自分は欠席したので議事録を読ませていただいた。今日の氏原主任国語調査官の説明でこの問題のむずかしさを実感した。これに賛成とか反対とかではなく、自分も中学校の現場で働いている者なので、その立場から申し上げたい。先ほど氏原主任国語調査官の説明で「鴎」の食い違いの説明をうけたが、たしかに「鴎」については、教科書には「品の鴎」が印刷されている。ところが黒板に教員が書く場合は「バツの鴎」を書くというような食い違いの例はたくさんある。しかしこれは表外字の問題だ。今回はこれが表内字に入ってくる。その時に、表内では従来の常用漢字にできるだけ整合するべきと、いう立場から今日は発言しようと思っていたのだが、かなりむずかしい問題があるということで、その点ではさきほどの前田主査がおっしゃったように、凡例のところ、手書きの字形の手当ての所で、しんにょうだけではなく、食偏もふくめて説明するなら(了承する)。その上でいくつか質問したい。追加字種の中で、例えば「嗅」とすでに常用漢字表にある「臭」、この辺の整合性はどうなのか。それから追加案にある「比喩」の「喩」とすでにある「愉快」の「愉」や「教諭」の「諭」との不整合、この辺のことをどういうふうに子供に教えるのか、分かりやすい説明がほしい。

氏原主任国語調査官:これは表外漢字字体表の「印刷文字字形(明朝体)と筆写の楷書字形との関係」の(7)にある。また(12)には食偏がある。これに基づきながら、どういうふうに理解しやすく手厚く説明するかが問題。これは字体を越える違いだ。従来常用漢字表では字体を越えない範囲で示してきたので、これをどう位置づけるか大変むずかしい。じつは漢字WGでもまだ妙案が出ていないが、今の先生方の指摘を踏まえながら、もう少し詰めていきたいと考えている。

  • 阿辻委員:同じく自分も教壇に立っているので一言。「嗅」の「自」は人間の鼻の象形であり、犬が鼻で臭いを嗅ぐためにくんくん臭いを嗅ぐ形だ。常用漢字に入った段階で「自」を「白」「犬」を「大」にしたのがとんでもない間違い。単に一画減らすためになんでそんなバカなことをしたのかと、個人的には思っている。しかしこの形は定着している。そこで大学では「口」と「鼻」と「犬」からできている会意文字であると成り立ちを説明している。むしろこの形が提示されることで、教育漢字とは違ってくるかもしれないが、漢字の成り立ちの説明のためには、かえって説明しやすくなるのではないか。そのように一人の教師としては思っている。

その他発言はないかとの主査の呼びかけに、この日初めて内田委員が挙手。

  • 内田:さきほど林副主査の発言で、文字には見ると書くの二つの面があるとのことだった。しかしもう一つ「打つ」という面がある。見る方は複雑な方がかえって認知されやすい。先ほど出された例でも読む場合は文脈で理解するので、こまかな違いは目には映らない。そこでアバウトになる。教育の時に、今も阿辻委員が非常にうまく説明されたが、やはり子供たちには成り立ちをきちんと説明するのがよいだろう。幼児期でも複雑な漢字、たとえば杜甫李白漢詩をある教育法をつかえば、すらすら読んでしまう。見るのは簡単なのだが、しかし書くのは手の運動でありむずかしい。現代では見ると書く、その間に打つがある。打つときに大切なことは、見ること。パターンを頭に置いて打つので、そこは自分で書くというところまで戻らずに、打つということをやっているのではないか。これは付け足しで申し上げた。ルールの説明は非常に明解で、全体が腑に落ちた。

最後に前田主査が締めくくりの発言。

  • 前田主査:どうもありがとうございました。今日は本当は漢字表を確定したかったが、今貴重なご意見を戴いたので、この次さらに説明を加えて確定していきたい。以上で終わりたいと思う。

次回は12月16日(火曜)午後2時〜4時。経産省別館1028会議室にて開催。

※付記
阿辻委員の最後の発言に起こし間違いがありました。お詫びして訂正いたします。

*1:なお、林副主査は国語分科会の会長でもあります。

*2:拙稿2008年10月28日〈ただし、そのような改定を行う漢字小委員会/文化庁を一方的に批判することに意味はなく、かえって本当の問題のありかを隠してしまう可能性すらある。ここ10年の漢字政策はいつでも「社会の要望」を実現する方向で動いてきた。漢字小委員会/文化庁も特定の主義主張があって前述のような改定をするのではなく、積み重なった問題のツケを払うはめになっただけではないか。〉http://internet.watch.impress.co.jp/cda/jouyou/2008/10/28/21326.html