[新常用漢字表] 「"鬱”を追加しないでください」


昨日の漢字小委員会で、元中学校長の松村委員から、興味深いエピソードが披露されました。


委員会の前日、彼女が昨年まで在職していた中学の運動会に出かけた時のこと。帰ろうとすると3人の女子中学生に声をかけられたそうです。

立ち止まって話をしていると、一人があらたまった口調で「先生、"鬱”を追加しないでください!」と急に言ったそうです。「私にはあんなにむずかしい字は書けません」と。松村委員はこのエピソードに関してとくにコメントを加えず、あったことのみを伝えるという感じで発言を終えました。

議論の流れとしては、県名漢字を小学校4年生で教える漢字に追加しなければならず、教育現場は新常用漢字表の影響を受けざるを得ない旨の指摘がされた後の発言でした。

しばらくして井田委員が、このエピソードに直接言及して、概略つぎのようなコメントをしました。「もしかしたら、中学生の発言は、不安の表れではないか。新常用漢字表によって漢字生活から取り残されるのではないかという。これは理屈ではない。不安としてうけとめ、自信を失いかけているのではないか。我々はむしろ人々の安心感が強まるような漢字生活ができるような漢字表を考えるべきではないか」

これをうけて内田委員から、「鬱」のような字画の込み入った字は読めればよいということが浸透していないので、むしろこうしたことは教育現場の問題として考えるべきでは等の発言がありました(内田委員は教育者として教科書製作に関わる立場でもあります)。

個人的には井田委員の指摘をより重く受け止めました。この中学生のエピソードが、試案に直接影響を及ぼすのかは分かりません。いや、たぶん内田委員の回答を諒として、結果としては無視になる可能性の方が高いかもしれません。しかし、このエピソードには不意をつかれた印象をうけました。

「字体の不一致」や「読めるだけでよい漢字」などの試案の骨子が、果たして多くの人々にうまく伝わっているのか、それだけでなく、かえって「コミュニケーションの手段としての漢字表」から人々を遠ざけてしまう結果になるのではないかなど、考えるべきことは多いように思います。