第34回漢字小委員会が開催される

7月17日、第34回漢字小委員会がふだん2時間の審議を1時間増やして、午後2時から5時まで開催されました。なお、配布資料は小熊さんのページから入手してください。

この日の冒頭、国語分科会長でもある林副主査が、とくに発言を求め以下のように述べました。

  • 日本医師会及び日本歯科医学会から、国語分科会長宛として「顎」の字を追加するよう意見書が届いた。理由は医療の現場だけでなく日常よく使われる重要な語であることによるもの。かつて同じような意見を紹介した前例があることから、今回も紹介するとのこと。
  • また、資料番号の付いてない読売新聞の記事を机上にお配りしているが、これについて一言。ここに「教育現場からの指摘を受けて再検討を決めた」とあるが、本日の審議は字種と音訓について寄せられた意見の検討であり、これは事実と異なっている。とくにこの記事にあるような「異例の再検討」ということはない*1


つづいて氏原主任国語調査官による配布資料説明のあと、協議に移りました。まず字種の追加について。最初に阿辻委員から「碍」について何度か議論されてきたので、それから審議してはいかがかとの動議があり、これについて取り上げることになりました。

  • 「碍」は新常用漢字表(仮称、以下略)に入れなくてもよいと思う。理由は障害者団体が「障碍」に表記することで一致しているわけではないから。また、「碍」にせよという意見が多数派というわけでもなく、「碍」にしたからといって妨げられている現実が変わるわけでもない。固有名詞でも日本ガイシが「碍子」を仮名書きにしていることからも分かるとおり「碍」は決して易しい字ではない。(金武委員)
  • 「碍」という字は誰が不快としているかよく分からない。意見はすべて団体からのものであり、障害者本人から不快だという意見はなかった。今は早急に決められるものではないと最近考えるようになった。(出久根委員)*2
  • この問題を考える拠り所がないので困っている。金武委員の指摘は「ショウガイ」という単語についてのもの。だとしたら単語についての情報が必要ではないか。(杉戸委員)

結局、委員の間から「碍」の字を入れるべきであるとの意見は一つも出ませんでした。「鷹」についても同様で、この字の場合は自治体が運動したことが、かえって委員の心証を害した様子。なぜならそうした意見を入れて「鷹」の字を入れたという前例を残せば、以後運動すれば字が入ることになるからです。東倉委員が「自分は三鷹に住んでいるが、「鷹」の字が常用漢字表にないからといって不便を感じたことはない」という発言が印象的でした。


つづいて字種の削除について。ここでは多くの字が削除すべきとして挙げられました。多すぎてノートが追いつかなかったので、詳細は追って公開される議事録で確認していただきたいのですが、少なくとも以下のような字について削除すべきという意見が出ました。

  • 鬱、聘、顎、憚、潰、淫、哨、箋、虞(この字のみ現行常用漢字

なかでも議論が集中したのが「鬱」でした。前田主査が鬱病の診断に関する新聞記事を手に掲げ、そこで「うつ病」と交ぜ書きにされていることを指摘しながら、「鬱」を新常用漢字表に入れれば、こうした交ぜ書きが解消できるメリットを説くと、金武委員が、新聞では医学用語は仮名書きと決まっており、たとえ「鬱」が表内字になったとしても、現行ルールでは交ぜ書きは解消されないことを説明しました*3

また、笹原委員から文化庁による以前の国語世論調査で「鬱」の字は手書きで書く場合は仮名書きなのに、ワープロで書く場合は漢字になるという結果が出たことが指摘されました。おそらく「鬱」の字はかつて「読めればいい字」として位置付けられていたことを言おうとしていたのでしょう。これに対して井田委員から、現状の試案では「書けなくてもいい字が常用漢字表にある」ということが伝わりづらいのではないかという問題提起がなされ、これを林副主査がおおむね肯定し、なんらかの手直しの必要が示唆されました。


つづいて音訓について。ここで問題として挙げられたのは音訓として掲出されているものの不統一についてでした。たとえば「営」の音訓は「エイ、いとなむ」で、基本的には動詞で挙げているものは連用形です(つまり「いとなみ」という連体形は掲出されていないということ)。しかしこれが統一されているかというとそうではないのが現状で、その理由は最早分からないそうです。これについて杉戸委員他から整理・統一の要望がありました。

この問題に対しては漢字ワーキンググループでもだいぶ議論になったとのことですが、従来の常用漢字表との一貫性を重視する必要から、とくにいじらなければならないものを除き、そのままとしたとのことです。結局これは漢字ワーキンググループの更なる議論に委ねられることになりました。


ここまでで時間は15時30分。残りの時間を高木委員による資料4「学校教育における漢字指導と常用漢字について」の審議に割かれました。最初に審議の目的について氏原主任国語調査官から説明がありました*4(高木委員の公的なプロフィールはこちら)。

  • 前回、松村委員から中学生から「「鬱」を入れないで欲しい」という声があったことが紹介された。新常用漢字表は国語教育を目的とした表ではないが、国語教育に使われていることは事実。教育を考えたときに、試案にまだ改善すべき点がないかどうかは大きな問題。そこでその点について検討するため、とくに時間をとることにした。具体的には試案前文、「基本的な性格」の部分で「すべて手書きを求めるものではない」という文言があった時期があった。これはさまざまな経緯から現在は削除されたが、たとえばこれの復活させるかどうかなども検討されてよいのでは。

その上で高木委員から資料4に沿って説明がされました*5。ここでは多くのページを割いて学校教育の中で常用漢字表がどのように位置付けられているかということが述べられていますが、概略は以下のとおり。

  • よく誤解されるが、学年別配当表は国語教育でだけ使われるのではなく、教科学習全体で使われるものだ。
  • 中学1年では覚えるべき漢字の読みとして学年別配当表に加え「常用漢字のうち250〜300字」とあるが、具体的な規定はなく、教科書によって違う。同様に他でも数字は挙げられているが、具体的にどの字かという規定はない。
  • また、高等学校では主な常用漢字が書けるよう求められているが、この「主な」がどの字を指すのかという規定はない。
  • これにより、たとえば大学入試での書き取り試験は、常用漢字表1,945字の範囲から出題されることになる。すなわち、高等学校では常用漢字表全体を書けないといけないという現実がある(ということは、追加191字も高校生は覚えないといけないということ)。
  • 子供たちは教科書を通して漢字に出会うもの。次に手で書きながら字形や字体を覚える。そうであるならば、字体は統一した方が混乱がない。字体の許容でどこまで許容するか問題だ。
  • 教育指導上、問題になる字として「淫、賭、呪、艶」そして「鬱、籠」を挙げたが、基本的に学習漢字との乖離が少ない方が良いと考える。これらの字は教材を探すのが非常にむずかしいのではないか。

つづて高木委員の報告に対する質問の後に討議に入りました。ただし、小学校校長の邑上委員、中学の元校長である松村委員から高木委員への賛成意見が出た他は、おおむね反対意見が続出した印象でした。

  • 高木委員に賛成。現在授業時間が大変きびしい。小学校は基本なので、あれもいい、これもいいという教え方ができない。迷いがないように(字体字形の許容はなしに)教えざるを得ない。(邑上委員)
  • 「子供たちは教科書を通して漢字に出会う」というが、本当にそうなのか疑問。小学生も電車や町の看板を読むはずで、そこでであう漢字は多いだろう。そうしたところに字体の整合性などあるはずがない。「乖離」というのはそのとおり。だが、子供たちが習う漢字に社会が合わせなくてはならないのか。(阿辻委員)
  • 阿辻委員に賛成。子供たちは違うものに出会うことが大事。大人もそうだが、学習に大事なのは対象言語(このあたり、ぼくには意味がつかめませんでした)。乖離はむしろ大事。
  • 高木委員の資料をよく見ると、小・中と高校では断絶がある。字数でいうと書けるが中学で最大学年別配当表プラス600〜700字。ということは常用漢字表のうち300字ほどは書けなくてよいことになる。読めるは常用漢字表の「だいたい」ということ。ところが高校になると「全部」となる。この背景には発達段階の違いがある。高校となるとほとんど大人。批判力も出てくる。そこを元に乖離の問題に戻ると、小・中ではたしかに気になるだろう。文字習得全体を考えると、学校だけで考えるべきではない。世の中に出てから覚える漢字もある。一生の中でどういうプロセスで言語能力を習得するのかを考えて結論を出すべきではないか。(林副主査)
  • 高木委員の言うとおり、教える立場から試案に対して批判があるだろうことは感じる。そこには教える時間が限られているという問題がある。ただし、現在の常用漢字表前文「この表の運用に当たっては、個々の事情に応じて適切な考慮を加える余地のあるものである」という一文があり、この中で教育の諸問題が包含されているはず。また、「淫」という字に関しては、自分はあってはならないという立場だが、実際に条例での使用例として「淫行条例」がある。これは自立の問題ではないか(すいません、この発言もノートが追いつかずよく理解できていない)。(納屋委員*6
  • 阿辻委員が子供たちが漢字に出会うのは教科書だけでないと指摘されたが、その通り。子供たちはこちらがびっくりするような所で漢字を覚えている。そして、それを誉めると伸びる。しかし規範は学校教育であり、ここが重要。(松村委員)
  • 自分はボランティアで障害者の学習を支援していたが、集めた教材で学年別配当表がなかなか入らずに苦労した。逆の発想で、常用漢字のどの字を教えると指定していないのなら、総てを教えなくてよいということはないのか。(前田主査)
  • 前田主査に賛成。自分もそう思う。「だいたい」とはどういう意味か。しかし常用漢字を全部扱うのが現実で、教材で総て拾えないことになる。(松村委員)
  • 自分は「淫、賭、呪、艶」は高校の時に読めていた。なんでそれを教えるのに不都合があるのか。教育上悪い字というのは言葉狩りに繋がらないか。(阿辻委員)
  • 学習指導要領の「たいたい」が、教科書業界では8割と受け止めている。それはそうと自分は阿辻委員と同じ考え。「淫」をしてはいけないが、字は知っていてよい。(武元委員)


一部省略しましたが、だいたい発言は以上のとおりです。意見の多くは批判的なもので、高木委員は後半、少しふてくされたように椅子を後ろに下げて背中をあずけながら、うつむいていたのが印象的でした。印象的といえば、普段の審議では暇を持てあまし気味な文科省初中局の官僚3人が*7、この議論の間中、珍しく身を乗り出して食い入るような表情で発言を注視していました。あの顔はすごかった。閉会後、高木委員はこの初中局の官僚達と談笑しながら、文科省の上階へエレベーターで消えていったのでした。

次回の審議は7月28日です。

※今回のノートの取り方は甘いので、一緒に傍聴されていた人で訂正すべき点に気づいた方はご一報ください。

後記

あ、そうそう、例の読売新聞の記事ですが、記事が出たのが会議の当日の朝であり、ここで挙げられたいた「淫」「呪」「艶」「賭」が資料4「学校教育における漢字指導と常用漢字について」で挙げられていた字の部分集合であることを考えると、なんらかの形で読売新聞記者がこの資料4そのものか、その骨子を入手して記事を書いた可能性は高いように思えます。では、誰が記者に渡したか? 文化庁の人間が渡すはずがありませんから、そうなると限られてきますね。読売の記者は、どこかの誰かさんにうまく使われてしまったわけです。

あまり面白半分に書いても仕方ないのですこし真面目に書くと、この件は試案について、文化庁文科省初中局との調整が、完全にはすんでないことを示していると考えています。さらに書くと、今回は比較的分かりやすい字種の問題で顕在化しましたが、本当に問題なのは、この日も邑上委員が言っていたとおり「現在の新常用漢字表では、学校の先生は教えづらい」という点、つまり字体の不統一が最大の問題点なのだと思います。最終答申に向けまだまだ一波乱あるのかもしれません。

そういえば、この件に関してUnicodeさんが自身のブログで常用漢字の見直し(2009年7月17日)というエントリを書かれていますが、興味深かったのが新聞記事で挙げられていた「淫」「呪」「艶」「賭」と同じ字を削除要求しているパブリックコメントがあるということ。全国大学国語教育学会のものです。

この団体名を見てハッとしました。なぜなら前期まで委員として字体の統一で論陣を張っていた甲斐睦朗氏は、ながらく全国大学国語教育学会の役員を務めていた方だからです。この学会が今回の記事と関係があるのかどうかは分かりません。どちらかというとないように思います。しかし、何がどこでつながるか分からないので、ここで報告しておきます。

*1:ネットの記事にはないが、新聞記事では「常用漢字異例の再検討へ」という文言がサブの見出しとして掲げられており、これを指したもの。

*2:出久根委員は第32回で「「碍」の字をどう考えるかは最も大きな問題」とぶちあげた当人だが、その後意見を変えた様子。ただし、障害者団体の意見だからといって障害者本人の意見に劣るというのは、客観的に言っておかしいのではないか。団体の意見が劣るなら、日本文藝家協会から出ている自身の立場はどうなるのか。どうもこの人は雰囲気に流された感情的な発言をする傾向があるように思え、委員としての資質に疑問を感じざるを得ない。

*3:ただし新常用漢字表により協会のルール改正はありうるので、一概に断定はできないとのこと

*4:すこしだけ背景を説明すると、高木委員は今年度から委員に就任した人です。残りのほとんどの委員は前期からの持ち上がりで、その意味からいうと高木委員は新参で、一種「外様」的な存在ということになります。

*5:なお、個人的には高木委員は氏原主任国語調査官のことを一貫して「氏原先生」と呼んでいたことが印象にのこりました。通常委員同士が「先生」と呼ぶことはあっても、官僚をそのように呼ぶことはありません。単に場馴れしていないだけなのか、氏原主任国語調査官への特別な意識があるのか、あるいはその両方なのか、もちろん高木委員の心の中までは分かりません。

*6:この方は高校の校長先生です。

*7:国語研究所と文科省初中局は、関連部署ということから漢字小委員会の審議では常に同席することになっています。