携帯電話の絵文字は文字なのか?

11月27日のエントリ、「Googleが携帯電話の絵文字をUnicodeに提案」はびっくりするほど多くの人に読んでいただけました。本ブログだけでなく、Google Blogの該当エントリ「絵文字のユニコード符号化: 符号化提案用のオープンソースデータ」にある「この投稿へのリンク」なんかをみると、本当にたくさんの人たちがこの話題に言及していることが分かります。まさに旬の話題なのでしょう。

ところで、案外と語られていないみたいですが、携帯電話の絵文字って、本当に文字なんでしょうか? ちょっとこれについて書き留めておこうと思います。自分でもまだよくまとまっていないので、乱雑なメモ書きですが。


そもそも「文字」ってなんでしょう? その定義を調べれば、携帯の絵文字がそこに含まれるか分かるはずです。まず参照しやすいところでウィキペディアを引いてみましょうか。ここでは冒頭で次のように定義しています。

文字(もじ)とは、言葉(言語)を伝達し記録するために線や点を使って形作られた記号のこと。

これは絵文字に当てはまりませんよね。絵文字に線も点も不可欠ではない。面表現のものの方が多いんですから。ウィキペディアではつづいて「基本的な概念」として文字について以下のように定義しています。

文字(英: character または letter)とは、言語に直接結び付いて意味を表す符号や記号のことを言う。「言語に直接結び付いて」とは、文字が音声言語の発音そのものを表すということでは必ずしもない。

これはなかなかいい感じかも。そして、一般の国語辞書でも文字を「言語」と「記号/符号」という言葉によって定義するのは同じです。

  • 「言語を表記するのに用いる符号」(広辞苑第五版「字」)
  • 「〔絵と違って〕言葉・言語音を目に見える形に記号化したもの」(新明解国語辞典第四版「文字」)
  • 「言語を書き記すための記号」(岩波国語辞典第六版「文字」)

ちょっと面白いのが以下の定義。

  • 「言葉を表記するために社会習慣として用いられる記号」(大辞泉「文字」)

「社会習慣」を加えて定義している。なるほどね。ただ、携帯の絵文字が「記号/符号」の類であることは論を待たないでしょうが、よくよく考えてみると、これは本当に「言語」と結びつけているんでしょうか? そう疑問に思ったのも、ちょうど以下のようなニュースに接したからです。

これは「携帯メールで、恋人以外にハートマークは使えますか?」と質問したのに対して、女性の81.9%が「使える」と回答したのに対して男性は55.5%に留まり、同様に「異性の友達からハートマークが送られてきたら、勘違いしますか?」との質問に対して、「勘違いする」と回答した女性は14.6%だったのに対して、男性はその倍にあたる28.5%だったという調査結果を報じるものです。つまり、ハートマークに対して明らかに男女による意味のズレが生じている。

もちろん、こうした現象は語のレベルでは一般に見られることです。たとえばうちの奥さんなどを見ても思うのですが、「ダイエット」という語に対する受け取り方(切迫度かな)には、一般的に大きな男女差があると言えますよね*1。このように語のレベルであれば、同じ言語を話していても男女によってバラツキはあり得るし、さらに、語よりも上の、文のレベルではもっと大きな差が出るでしょう。

しかしハートマークは語でも文でもなく、文字、と言って悪ければ単一の記号ですよ。極小単位なのにここまで大きな男女差が出るって、どういうことなんでしょう? 本当に言語と結びついていればこんな大きな差は出ないはずで、むしろ結びついているのが言語以前のもっと漠然とした非論理的なもの――たとえば「想念」とか「感情」のようなものだからこそ性差がでるのでは……などと思うのです。

また、先のエントリでも引用した風間さんのブログでは、携帯の絵文字について続報のエントリ「絵文字の符号化は何が難しいのか?」が公開されており、符号化する上での問題点が6項目列挙されていますが、そのうち関連するものだけ引用すると、

  • 絵文字はアニメーションするものがある(爆)
  • 絵文字には色の区別がある.しかし,今まで標準化された文字集合には「色」という概念がない.

動いたり、色の区別があるものが、はたして文字と言えるのか?――という疑問はもっともなのですが、先の指摘に沿って言えば、言語以前の漠然とした非論理的なものだからこそ、動いたり色がついたりしなければならないのだ、と言っておきましょう。

我ながらまとまりがありませんが、実のところぼく自身は携帯の絵文字も文字だと思います。先に引いた大辞泉ではありませんが、社会習慣としてここまで日常生活で頻用され、情報交換されているものが、文字でないとはとても言えないでしょう。これもまた生成・変化の一端であろうと。ただし、今まで我々が「文字」と言って一般的に想定しているものとは、かなり相違があることは確かです。

うまく言えないけれど、この携帯の絵文字には何かしら「文字」というものの定義を揺さぶる力があるように思います。携帯の絵文字をGoogleUnicodeに提案しようとしたことについて、伝統的な日本語を守る立場から反発する意見もあるようですが、とりもなおさずそういう人々の存在こそが、携帯の絵文字の危うい魅力を物語っているのかもしれません。

なお、携帯の絵文字についてはGoogleのニュースが流れる前日にCNETさんから「なんか書いてよ」という依頼をいただいたので、年内にきっと原稿を書くと思います。しかし、文字論まではちょっと書けないだろうなあ。よく分かってないし。

*1:まさか、読んでないだろうなあ……。