「しょうがい/しょうがいしゃ」の表記について


まずは「しょうがい/しょうがいしゃ」に関して。これは「碍」という漢字を新常用漢字表に入れるべきかどうかという議論でもあります。これについて、nazokouさんのポイントと思われるのは以下の部分。

  • 医学用語の「障害」と仏教用語の「障碍」は元々、別物だったのにある時期から混同された。その時期は「俗説」の1946年でなく明治時代まで溯れる。そうだとすれば、それは複数の選択肢がある中で1946年の当用漢字表制定に際してよりネガティブな意味の強い「害」に統一されたことを意味します。(2009/05/15 17:00)
  • 元々は別物(同音異義語)であった「障害」と「障碍」が明治のある時期に混同された中で、同じ意味の場合はどちらかと言えば「障碍」の方が多く使われていた(小川氏の調査でもその傾向が見て取れる)のに対し、1946年の当用漢字表と10年後の「同音の漢字による書きかえ」が同音異義語としての「障害」と「障碍」を併用する選択肢を採らず、前者に一本化することを文字通り「強制」し「障碍」がたちどころに姿を消してしまったからです。(2009/05/16 23:45)

ただし、よく読むと上記のうち赤字で示した部分の根拠が示されていません。5月15日付コメントでは「害」と「碍」を比較して、1946年の時点で「害」の方が〈よりネガティブな意味の強い〉という事実があったように言われていると思いますが、その根拠は何なのでしょう。また、翌16日付コメントで「戦前は「障碍」の方がより多く使われていた」と言われ、その根拠として小川さんのブログを挙げておられますが、どこの部分からそのような傾向を見て取れるのでしょうか。
いずれもnazokouさんのご主張の根幹をなす部分と思われますので、ぜひお示しください。

なお、これについてはnaka64さんが、以下のようにコメントしています。

政治的に正しいことば」指向の方があとから出てきた観点である以上、(略)造語でもない戦中の用例を拾い出した訓令を「当時の水準で間違い」とはいえない( 2009/05/17 03:26)

つまり、「障害」という語が「政治的に正しくない」という指向が近年のものと考えられる以上、そうした指向が存在しなかったであろう当用漢字表の時代に遡って批判しても意味があるのだろうかという疑問だと思います。個人的には、ぼくはnaka64さんに賛成します。