映画『TOKKO-特攻-』をみて


小熊さんこの作品反戦映画としてより、むしろ「理解不能なものを理解しようとする道程を描いた映画」として見たのだという。ほほう、それは面白そうだ。すこし時間があったので、さっそく見てきました。



見終わった感想をいえば、ぼく自身は小熊さんとは違い、素直に反戦映画と受け止めた。もしも彼の言うとおりの作品なら、日系二世の監督と二十年前に亡くなった元特攻隊委員の叔父との関係がもっと深く描かれるべきだろう。なぜなら、「穏和な叔父がなぜ狂気の Kamikaze だったのか?」という疑問こそがこの映画を作る直接のきっかけだったはずだからだ。


しかし、叔父と監督のエピソードはあまり前面には描かれず、彼女の叔父への思いが格別に深いものとは観客に読み取れない。また特段に作品中で証言する特攻隊員と叔父との関係が描かれるわけでもない。だから自然と叔父の存在は後景に引っ込み、むしろ生き残った特攻隊員たちが訥々と語る証言の数々が俄然色彩を放つことになる。そうした証言の最後に行き着く場所が戦争の愚かしさである以上、やはりこれは素直に反戦映画として見るべきだろうと、ぼく自身は思った。


それはともかく、インタビュー映画として見ると、「生きたかったよ、死にたくはなかったよ」というコメントを引き出した時点で、この作品の成功は保証されたのだと思う。寡聞にしてこんな正直に特攻を語った例をぼくは知らない。この時だったと思うが、あくまで冗談めかして軽く語ろうとする口調に反して、証言者の目にうすく滲んだものがあることをカメラは逃していない。


それから別の老人が、出撃の直前に家に帰って父親と対面した際のことを語るシーン。突然彼は英語になるんですね。「父は、どうか生きてもう一度この家に帰って欲しいと言いました。私はあれほど哀しかったときがありません」と。戦後に音響機器の輸入会社を作ったというこの老人は、一番肝心なエピソードを語るのに、どうして母語を使わなかったのか。それは母語を離れた方がより的確に話せると思ったのではないかな。インタビュアーがアメリカ生まれの日系二世であるにしても、彼女は日本語で質問している。彼の体験の曰く言いがたい骨絡みの深さが偲ばれるシーンではある。


じつのところインタビュー映画としては、当事者の証言と研究者の二次的な証言、さらに監督の親族の証言が渾然となって構成されており、いささか整理されていない印象はのがれられない。またアメリカ人が制作したらしい再現アニメーションは、考証が甘く絵も稚拙で興醒めという他ない(中間色のグラデーションを使った程度で小林清親の名前を出さないで欲しいもの)。しかしそれらを上回る元特攻隊員、そして攻撃を受けたアメリカ側艦艇乗組員たちの胸にずしんと来る証言、そしてそれらを補完する戦時記録映像が圧倒的な存在感で迫る。これらを一つにまとめあげ、戦争中の日本の狂気を浮き上がらせることができたのは、やはり監督の力量と言うべきだろう。その狂気は小熊さんも言うとおり、けして特別なものとは思えないし、思うべきでもないだろう。さよう、状況さえ変われば、我々はもう一度特攻をやりかねない。認めたくはないのだけれど、ときどき顔を覗かせる集団ヒステリーを見ると、そう思わざるをえないのだ。


最後にパンフレットについて一言。ポスターの裏に印刷されたもので、綴じてなく、裁断もされていないので折り本ですらない。だからパンフレットと言ってよいのかどうか疑問だが、それはまあ目をつぶるとして、横組の和欧間、とくにアラビア数字との間隔がアキすぎで不体裁なことは指摘しておきたい。フォントは仮名が游築36ポで、漢字はたぶんイワタ明朝オールド、欧文はアドビのGaramond Premr Proじゃないかと思う。いずれもクラシックな味わいのフォントであり、内容に合わせて吟味したのだと思うが(他にも筑紫見出しミンや游築初号ゴシックを使っている)、組版の甘いところがちょっと残念。もしもこれがInDesignなら、数字をいわゆる全角にするだけで和字の扱いになり、結果的に和欧間はベタになってくれる。もちろんタイプフェイスはガラモンドじゃなくなるけど、べつにいいんじゃない?