再び、「頬、填、剥、叱」について


前のエントリでいただいたコメントを受けて、パブリックコメントの応募原稿のうちJIS文字コード関連の部分を書き直してみました。

後半はほとんど変えていませんが、前半で改定常用漢字表が見落としている本質的なものを指摘できたように感じています。コメントをいただいた方々に御礼申しあげます。

ここで取り上げている問題は、改定常用漢字表という国の主要な文字政策が実施されれば、かならず発生する混乱です。それが分かっていながら、手をこまねいて座視するのは適切とは思えません。

ぜひ、一人でも多くの人がこの問題を指摘してくださるようお願いいたします。

字種・字体 (1) 「頬、填、剥、叱」について

以下、JIS X 0208例示字体を「頬A、填A、剥A、叱A」、改定常用漢字表にある通用字体を「頬B、填B、剥B、叱B」、一括して呼ぶ場合は前者を「A字体」、後者を「B字体」と呼ぶ(なお、前回も書いたが、ISO-2022-JPでは改定常用漢字表をすべて表現できないにも関わらず、それへの配慮がないままパブリックコメントをメールで受け付けたことを、私は大変残念に思っている)。

改定常用漢字表では「基本的な考え方」において、情報化時代を情報機器が普及し人々の書記環境が激変した時代として捉えている。そのこと自体は間違いではないが、情報機器で扱われている文字は旧来の印刷文字と比べ本質的な違いがあることに目を向けておらず、情報化時代というものの一端しか捉えていないように思える。

情報機器で使われる文字を「符号化文字」と呼ぶ。実体は不可視の電気信号であり、その高低のバリエーションを符号として使用している。情報機器の内部で処理をしたり、他の機器と情報交換するのはそうした符号に他ならない。この符号は不可視であるので、必要なときに限ってフォントにより可視化される。つまり符号化文字の本質はフォントの字形にあるのではなく、符号にこそある。

たとえば、情報機器同士が情報交換するのはフォントの字形ではなく符号だ。だから、Aという機器で表示されているフォントの字形が、送信先のBという機器においてまったく同じ字形として再現される保証はない。むしろ違う字形が再現されると考えるのが自然だし、後述するように文字化けしてしまうことすらある。このように符号化文字は文字の形が不定型という性質を持っており、この点で旧来の印刷文字と大きく異なる。

このような符号化文字から改定常用漢字表をみたとき、最大の問題点は現在の携帯電話のほとんどは「頬B、填B、剥B、叱B」を符号化できないことだ。これらB字体はJIS X 0213に収録されているが、現在の携帯電話のほとんどはそれよりも文字数の少ないJIS X 0208の文字セットに基づいている。この結果、携帯電話のほとんどはB字体が符号化できない。これについて、私は『INTERNET Watch』誌(インプレス)に以下のような文章を寄稿した。

あらためて簡単にまとめると、改定常用漢字表「表の見方」にある「付」の一文により、携帯電話等に実装されているフォントの変更をする必要はなくなる。

情報機器に搭載されている印刷文字字体の関係で,本表の掲出字体とは異なる字体(中略)しか用いることができない場合については,当該の字体の使用を妨げるものではない。(『改定常用漢字表』P.2)

上記により、現在の携帯電話等では改定常用漢字表の字体が表示できないという問題は免罪される。しかし、すべての問題が解決するわけではない。

この一文で解決できない問題とは、B字体を使用可能な環境(たとえばWindows Vista以降やMac OS X10.5以降等のパソコン)から、メールなどによりB字体が送信されたときに発生する。このとき、ほとんどの携帯電話はB字体を符号化できないので、「?」などの意味不明な文字に置き換えてしまう。つまり、前掲「表の見方」の一文は画面表示や印刷の問題は解決できても、情報交換・情報処理をおこなう符号化文字特有の問題の前には、まったく力を失ってしまう。

この問題が厄介であるのは、「新しい常用漢字表にもとづこう」と考えた善意の人が、意識せずに文字化けを撒き散らしてしまうことだ。前掲記事の標題にあるように、改定常用漢字表Unicodeへの移行を促すという一面をもつと考えられるが、だからといって発生するであろう混乱を見過ごしてよいとは思えない。「情報化時代への対応」を謳うなら、この問題への対処を怠るべきではないだろう。

この問題を根本的に解決するには、A字体を通用字体にするか、これらの文字の収録そのものを取り止めることだ。一部にはA字体を許容字体にするよう提案する声もあるが、それは画面表示を解決するにとどまる限定的な対策であることは指摘しておきたい。

「叱」については「凸版調査(3)」で「叱A」が1,837位、「叱B」が2,168位と、むしろ改定常用漢字表に収録されなかった字体の方が頻度が高いことが分かっている(『漢字出現頻度数 順位対照表(Ver.1.3)』p.37、p.44)。もともと表外漢字字体表でも「叱A」は印刷標準字体の個別デザイン差であることから、「叱A」が通用字体になることへの抵抗は少ないはずだ。

しかし、残りの「頬A、填A、剥A」に対しては、使用頻度の点からいっても、またこれらが表外漢字字体表の簡易慣用字体ではないことからいっても、通用字体にするべきとは思えない。しかし、前述のようにB字体のままでは文字化けは発生するわけで、私自身も悩みながらこの文章を書いている。いっそのこと、収録しないことにするのも一案かもしれない。