新常用漢字表試案への意見

16日にメールで意見を送りました。
読みやすいよう、はてな記法で装飾した以外、そのまま以下に掲載します。


常用漢字表試案への意見 小形克宏(男、49歳、フリーライター

■1 試案以外の問題についての意見

▼1-1 改定の前提となる問題について

 試案について意見を述べる前に、まず2つほど試案以外のことを書くことをお許しいただきたい。もっとも試案そのものにも関わる問題であるのは当然のことだ。

 つい10日ほど前、世界各国の制止もむなしく朝鮮民主主義人民共和国が「飛翔体」を発射、秋田県岩手県の上空を通過させたことについては、すでによく知られていよう。最初に問題にしたいのは、日本国政府がここで「飛翔体」という言葉を選んだことについてだ。

 仮にこの「飛翔体」に爆発物が搭載されていた場合、この国に住む総ての人間に大きな脅威がもたらされる。この場合、脅威をうけるのは日本国籍の有無や、日本語習得の多少を問わないのは当然のことだ。つまり日本国政府は、この「飛翔体」についての情報をなるべく早く、なるべく正確に、そして現にこの国にいる総ての人々に伝える強い義務があった。

 常用漢字表の基本精神を「広場の言葉」と一言で表現したのは常用漢字表作成当時の国語審議会委員を務めた岩淵悦太郎だが、このような安全保障上の緊急事態に使われる言葉こそが「広場の言葉」でなくて一体何であろうか。そうであるならば、本来ここでは常用漢字表にもとづいた言葉が選ばれるべきだった。

 しかし実際には表内字だけを使った「飛行物体」などの語は使われず、「翔」という表外字をふくむ「飛翔体」が選ばれた。もちろん常用漢字表は「目安」だ。したがって表外字を使ったからと言って直ちに非難されるべきではない。

 たとえば日本政府部内で、「翔の字は常用平易たる人名用漢字とのしての運用歴も長いので、このままでも十分に理解しやすいだろう」などの判断があり選ばれたというのなら納得はできよう。しかし、そうした検討はされたのだろうか? もしもその種の検討がされていなかったとすれば、それは「専門用語の垂れ流し」でしかない。

 朝鮮民主主義人民共和国が発射した物体に対して、政府として「飛翔体」という語を使用したのは、かの国が最初に騒ぎを起こした1998年10月30日の防衛庁『「北朝鮮ミサイル」最終報告要旨』に遡ることができる(同日読売新聞夕刊第1面)。最近では2006年7月5日の安倍官房長官声明でも「飛翔体」が使用されていた(http://www.kantei.go.jp/jp/tyokan/koizumi/2006/0705seimei.html)。つまり、日本国政府はこの騒ぎの当初から、10年以上にわたって「飛翔体」を使用しつづけているのだが、その間この表外字をふくむ表記を「広場の言葉」という観点から検討し直したという報道を見つけることはできない。

 その結果、たとえば今回の報道では「飛しょう体」[1]と交ぜ書きにする社が現れた以外に、同じ社であるにも関わらず「飛翔体」と漢字だけで表記したり[2]読み仮名を添えたり[3]、読み仮名を添える場合も「飛翔」にだけの場合[4]、まるごと「飛翔体」につける場合[5]等の表記が入り乱れることになった。

 推移する事態に対する報道各社の混乱もあったろうが、そもそもこのような場合に、政府は読み仮名を添えなくては記事に使えないような語を選択すべきだったのか。「飛翔体」の脅威をうける側から言わせていただければ、こうした事態が好ましいとはとても言えない。繰り返すが、我々の「広場」には日本語をよく解さない人々もふくまれる。すなわち、ここには試案に言う「コミュニケーションの手段としての漢字使用」だとか、「総合的な漢字政策」という視点が、見事に欠落していると言えるのである。

 現行の常用漢字表を告示訓令したのは内閣総理大臣だ。麻生太郎総理大臣は今回の騒動にあたり、再三カメラの前で「飛翔体」の語を使用したが、果たしてその時の総理の念頭に常用漢字表の存在はあったのか。従来からの「飛翔体」を無反省に使いつづけた意味は大きい。政府部内で常用漢字表は適正に運用されていない可能性は高いと言わねばならない。

 もしも常用漢字表を改定したいというのなら、日本国政府はまず率先して常用漢字表の精神を部内に浸透させ、自らがきちんと運用している姿勢を人々に示すのが筋だろう。自分が使ってもいないくせに改定が必要だと言い出すのは、もしや我々を愚弄した話ではないだろうか。

▼1-2 審議の透明性への疑問

◎1-2-1 配布資料説明が採録されない件について
 これまで文化庁が「国語施策情報システム」において、広く資料を公開しつづけてきた功績はきわめて大きい。とくに表外漢字字体表作成当時に作成した資料集を、ウェブ上で閲覧できるようにしたことについては、字体史を研究する一人として心から感謝したいと思う。

 また、国語分科会、および漢字小委員会の議事録や配布資料を、インターネット上で閲覧できるようになった意味も大きい。多くの人の利害に関わる言語政策の審議について、これはあるべき姿と言えるだろう。

 このように文化庁は情報公開を積極的にすすめてきたと評価できるのだが、一方でまだまだ改善の余地も残されているように思える。たとえば、なぜ「配布資料説明」は省略されるようになってしまったのだろう。これは国語審議会当時は議事録に採録されていたはずなのだが。

 傍聴に行った者なら誰でも知っているとおり、漢字小委員会の審議においては、2時間の審議のうち半分程度は氏原主任国語調査官の配布資料説明につかわれ、残りの半分が質疑応答および審議というのが通常のパターンだった。その配布資料説明が議事録に採録されないで、審議の本当の姿を理解することはできるのだろうか。

 仮に配布資料説明が事務局による事実の説明に過ぎず、さして重要ではないからだとしても、やはり採録されるのが筋だ。審議の様子をなるべく忠実に再現するのが議事録のあるべき姿だからだ。かえって配布資料説明を省略したことで、なにか隠したいことがあるのでは等の、不要な勘繰りを招いてしまうのではないか。

 もっとも、審議時間の半分を占めていた配布資料説明が重要でないはずがない。具体的に例を挙げよう。「第27回国語分科会漢字小委員会・議事録」(http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_27/pdf/gijiroku.pdf)には、以下のような発言がある(いずれも該当箇所のみ引用)。

  • 甲斐委員:氏原主任国語調査官からいろいろと御説明がありましたけれども、話はよく分かりました。分かったけれども,新しい常用漢字表は,やはり「表外漢字字体表」よりはもっと厳しく考えるべきものであると思うんです。(議事録、p.9)
  • 金武委員:先ほど氏原主任国語調査官が言われた、現状はこうであるということは全くそのとおりだと思います。それは,なぜかと言えば,その常用漢字表にしろ,表外漢字字体表にしろ,国の施策としての漢字表であって,それを社会はできるだけ尊重してきた,その結果だと思うわけです。(議事録、p.10)
  • 武元委員:冒頭に、氏原主任国語調査官が教科書も康熙字典字典体になっているというふうにおっしゃったんですけれども、これは金武委員がおっしゃったとおり、そういう字体が標準として示されているので、教科書においてもそれに従って使用してきたというのが実態だというふうに申し上げていいと思います。(議事録、p.15)

 上記の3委員の発言は、いずれも配布資料説明を踏まえた形でなされていることが分かるのだが、「氏原主任国語調査官が言ったこと」の内容が分からなければ、これらの発言の主旨も理解できない。すなわち配布資料説明を省略したことにより、審議の透明性は下がってしまっている。これについては一刻も早く現在の方法を改めるのは当然として、過去の審議に遡って議事録の改訂をすべきと考える。


◎1-2-2 撮影や録音が実質的に禁止されている件について
 透明性についてはもう一つ問題にしたいことがある。3月26日に開催された国語施策懇談会に際して、参加を申し込んだ者への案内葉書には以下のような文言が記されていた。

許可なしの、開会後の録音、写真撮影、ビデオ撮影等は御遠慮ください。

 これを見て、自分の目を疑ったのは私だけだろうか。この会は国語施策について一人でも多くの人に理解してもらうのが目的であるはずだ。本来であれば録音や写真撮影、そしてビデオ撮影も許し、積極的に参加者にブログに取り上げてもらったり、YouTubeニコニコ動画に懇談会の映像を公開してもらうようにすべきで、それこそが「情報化時代」における政策広報と思える。

 ところが実際には撮影も録音も許可が必要だという。わざわざ申請までする人が多いとは考えられず、実質的には禁止と受け取れる文言だ。いったい文化庁は試案を広く知ってもらいたいのか、それとも形式的に懇談会を開いてお茶を濁したいだけなのか、真意を疑わせるような文言ではある。

 ほとんど同じ文言は、通常の審議でも傍聴者への注意として用いられていた。もっとも外に開かれた懇談会と、一定のメンバーで合意を形成する審議会では性質が異なる。物理的にカメラを向けられると人間は緊張するものだし、シャッター音が気に障る人もいるだろうから、スムーズな議事進行をはかるために撮影を制限したい気持ちは分からないでもない。それでも、なぜレンズを向けるわけでもなく、音を立てるわけでもない録音がいけないのか、私には理解ができない。

 録音が許されないことによる透明性への疑問もさることながら、これにより文化庁が作成している議事録への不信感にもつながることを指摘したい。現在公開されている議事録は、はたして忠実に議事を反映したものなのか? もしこうした疑問を抱いても、録音が許されない以上誰一人として検証はできない。さらに言えば、録音を許さない理由はそうした検証をさせたくないからではという第二の疑問さえ許すことになる。

 このような痛くもない腹を探られることは、じつのところ録音を許可するだけで雲散霧消する。公正かつ中立な審議のためには、かえって録音を禁止するデメリットの方が大きいと思える。

 とはいえ、公開を制限した方が合理的な場合もある。利害が衝突しがちな場では、第三者の目があると微妙な発言を控えたり、妥協をしたくてもできなくなるケースがあるからだ。議長の職権によって傍聴者の締め出しや録音、撮影を禁止した方が、かえって公益にかなう場合もあり得よう(典型的な例が議長選出)。

 ただし、これはあくまでも限定的であるべきで、審議全般に適用されてよいはずはない。私企業ならともかく、税金を使って公共性の高い判断を下す審議会では、大原則は「総て公開」であることを、改めてここで確認したい。その意味から録音まで禁止する合理的な理由は見つからない。ぜひとも現行『国語分科会の議事の公開について』(http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kokugo_35/pdf/siryou_3.pdf)の再考を促したいと思う。

■2 試案そのものについての意見

▼2-1 試案に対する賛成意見

 ここではまず試案を読んで肯定できる部分を挙げる。「I 基本的な考え方」のうち「(2) 国語施策としての漢字の必要性」で書かれている「コミュニケーションの手段としての漢字使用」という考え方に強く賛成する。広範な人々が意思を伝達しあうために、現行の常用漢字表にあるような「一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」を示すことは有効だし、私達はなるべくこれを意識して文章を書くことが望ましいと考える。
 試案ではこの考え方を、新たに「(5) 名付けに用いる漢字」「(6) 固有名詞における字体についての考え方」にも適用しているが、これにも大いに賛成したい。現代において、漢字使用や字体意識の歪みがもっとも明確に現れているのは、こうした固有名詞の世界だと思うからだ。その意味からも、一人でも多くの人が受け取り手を意識した「コミュニケーションの手段としての漢字使用」という観点から、みずからの漢字使用を見つめ直すことが必要であると思う。
 今回の試案では、この「コミュニケーションの手段としての漢字使用」がいわば背骨として位置づけられていると理解した。上述のようにこれについて賛成する私は、むしろこの考え方が新常用漢字表に十分に反映されていないのではとさえ感じている。以下、詳しく述べたい。

▼2-2 読めて書ける漢字と、読めるだけでいい漢字について

◎2-2-1 常用漢字表そのものが認知されていない問題

 2007年10月17日、第17回漢字小委員会において参考資料1として配布された平成18年度『国語に関する世論調査』(http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_17/pdf/sankou_1.pdf)は、ある意味で衝撃的ともいえる結果をふくんでいた。以下に引用しよう。

常用漢字表」を知っているかどうかを尋ねた。結果は以下のとおり。
「知っている」が5割強,「知らない」が4割台半ばとなっており,「常用漢字表」を知っている人の方が多い。(同文書、p.10)

 ここでは常用漢字表の認知度について、〈知っている人の方が多い〉という説明がされているが、むしろこれは「半分をわずかに超える程度しか常用漢字表を知らない」と解すべきではないか。実際のところ、試案のとおり常用漢字表を改定しても、とても「コミュニケーションの手段としての漢字使用」が実現されるとは思えない数字であり、じつはこれこそが改定にあたって立脚すべき現実であるように思える。しかし試案では、こうした現実はあまり考えられていないように思える。

 さらに第1回漢字小委員会(2005年)に遡ると、ここで配布された『漢字に関する調査結果(2)』(http://www.bunka.go.jp/1kokugo/pdf/kanji_shouiinkai170913_siryou4.pdf)では、常用漢字表の漢字の数について、(1)「もっと増やした方が良い」、(2)「特に不都合はないので今のままで良い」、(3)「もっと減らした方が良い」、(4)「分からない」のうち、(2)が75.5%にものぼったという結果が示されている(p.4)。

 これらの結果が示しているのは、市井の人々の間では常用漢字表が「一般の社会生活における漢字使用の目安」としてなど機能しておらず、ただ軽視されてだけという現実だ。このことは昨年、常用漢字表の改定について原稿を発表してきた私個人の実感とも重なる。多分に私自身の力不足もあったにせよ、本来は各方面への影響が大きいと思われるテーマなのに、思ったほどの反響は得られなかった。また、仕事を離れた友人達と話しても、やはりこれへの反応はごく薄いものだった。

 ここで思い出してほしいのが、冒頭で述べた「飛翔体」の件だ。はからずしもこれは、政府自らが常用漢字表を軽視していることを明らかにした出来事だったと考えられる。このような常用漢字表を取り巻く現実を無視したまま、試案にあるとおりに191字を増やしたとしても、形骸化がさらに進行するだけだろう。試案全体に大きな欠落があるとすれば、今よりも多くの人々に常用漢字表が知られるような改定をしないと、やがて国語施策は立ちゆかなくなるという危機感であることを指摘したい。

◎2-2-2 読んで書ける漢字だけを集めた「真の常用漢字表」の必要性
 第20回漢字小委員会の配布資料説明において、氏原主任国語調査官から新常用漢字表(仮称)の正式名称にふれ、「現行の常用漢字表には、様々な経緯から必ずしも常用と言えない漢字がふくまれているのが現実。なのに〈常用漢字表〉という名称のままでよいのか」という趣旨の指摘があった。これはじつに現実的な視点と思える。

 氏原発言は新たな漢字表の名称についてだけ触れたものだが、じつのところ、看板だけ付け替えてもここまで述べた事態に変わりはないと思える。

 それよりも漢字小委員会は、こうした「常用でない漢字もふくんでいる常用漢字表」の矛盾こそを正面から議論し、その結果を試案に反映させるべきだった。たとえば現行の常用漢字表には誰もが知っている「一、日、天」と、読むのもむずかしい「遵、朕、虞」が同居している。

 身近でもなく使いもしない、つまり読めない漢字が混入していることこそが、人々に常用漢字表の存在理由を理解できなくしている最大の原因だと考える。ということは常用されるような漢字、つまり読んで書ける漢字だけを集めた「真の常用漢字表」を作ることで、人々の目を常用漢字表に向けることができ、さらに「コミュニケーションの手段としての漢字使用」も実現できるのではないか。

◎2-2-3 「一般的な日本語が記述できる最小の語彙」の確定
 では、どのようにして読んで書ける漢字は確定できるのだろうか。それは「一般的な日本語が記述できる最小の語彙」を確定することだと考える。ここでいう「一般的な日本語」とは、前述した「広場の言葉」と重複する。つまり、これはそのまま「コミュニケーションの手段としての漢字使用」で使われるべき語彙ともなる。

 試案における字種選定の考え方は、〈基本的に、一般社会においてよく使われている漢字(=出現頻度数の高い漢字)を選定すること〉(試案、p.(7))というもので、つまり1字ずつの使用頻度から演繹しようとする考え方だ。しかし漢字は1字ずつバラバラにではなく語の構成要素として使われる。同じ漢字であっても、語が変われば使用方法も変わってくる。つまり1字ずつの使用頻度からは、使用実態の現実を確かめることはむずかしい。

 このことを踏まえて今回の試案では、『出現文字列頻度数調査』『現代日本語書き言葉均衡コーパス』という2つの語を単位とする調査が使用されている(後者は語よりもさらに単位が長い)。このこと自体は大いに喜ぶべきことなのだが、しかし結局は修整・確認用の補完データとして使われたのに留まり、残念ながら十分に生かされたとは言いづらい。これは調査結果がまとまるのが遅れたので仕方はないのだが、それでも生かし切れていないのは紛れもない現実だ。

 試案のように使用頻度を漢字表に写像しようとする方法では、いくら修整しても雑多な漢字が集積されることになりがちで、漢字表としての使い勝手も悪くなる。それよりもむしろ、使用実態にもとづいて「広場の言葉」の語彙を人工的に構築し、これを漢字表とする方が、むしろ「コミュニケーションの手段としての漢字使用」という目的からは好都合だと思われる。

 具体的には上記2つの調査を使って頻度の高い語を抽出し、国語研究所による『分類語彙表』の蓄積を参考にしつつ、一定の「一般的な日本語が記述できる語彙」を確定する。そこから固有名詞や言い換え可能な語を適宜取り除いてゆく。簡単な作業と言うつもりはないが、この結果「一般的な日本語が記述できる最小の語彙」を構築することができる。

 これは同時に読んで書ける、というより「読んで書けるべき漢字=真の常用漢字表」を作成することになる。おそらくその結果は漢字配当表(教育漢字)1,0006字と常用漢字表1,945字の中間の字数をもった文字セットとなるだろう。もしも両者にない字が入れば、それはそれで好ましい修正となるだろう。また後述する字体不統一の問題も、恐らく「真の常用漢字表」には発生はしないだろうことも指摘したい。

◎2-2-4 読めるだけでいい漢字を集めた「準常用漢字表」を
 ここまで現行の常用漢字表を絞り込むことを提起したが、だからと言ってそのまま字数を減らすべきとは思わない。日本新聞協会出身の金武委員などの発言を聞くと、表外字に対する需要はたしかに存在すると考えられるからだ。

 これについては、現行常用漢字表の1,945字から前述「真の常用漢字表」を引き算した残りの文字をそのまま「準常用漢字」とし、追加191字をこの中に入れることを提案したい。つまり一時期、漢字小委員会で検討されていた案の復活である。(参照『国語分科会漢字小委員会における審議について』、2 新漢字表における字種の選定 (2) 字種の選定に伴う問題、p.6/http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_29/pdf/sanko_1.pdf
 これが取り下げられたのは、「読めて書ける漢字」と「読めるだけでいい漢字」の境界が不分明であったからだ(『第17回国語分科会漢字小委員会・議事録』2007年10月17日(http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_17/gijiroku.html)内田委員の最初の発言を参照)。この指摘自体は正しい。しかし、もしも前述の「真の常用漢字表」を確定すれば境界も確定できる。結果として「準常用漢字」を作らなかった理由も消えるのである。

 このように常用漢字表を2段階にすることより、あえて「銑、錘、勺、匁、脹」の5字を削除する理由もなくなる。これらはそのまま「準常用漢字」に入れればよい。社会的な慣用を重視する観点から、使用頻度が低いこれ等の字を削除したい考えも分かるが、すでに常用漢字表1,945字は28年の運用の歴史をもつ。削除をした場合、新旧の漢字表は非互換の関係になってしまう(後述)。文字セットとしての安定性を重視するなら、とくに大きな問題がないかぎり追加はしても削除はしないのが穏当ではないか。

▼2-3 表内の字体不統一について

 おそらく試案でもっとも意見が分かれる点は、いわゆる康煕字典体が追加されることにより、従来の表内字の略字体との間で字体不統一がおきることだと思われる。字体が不統一になれば、これから漢字を教わる子供たち、これから日本語を学ぶ外国人学習者にとって、少なからず壁となるだろうからだ。

 このような見過ごしづらい欠点をもつ試案ではあるが、字体不統一もやむを得ないと考える。字体をどちらかに統一すれば、JIS文字コードに対処不可能な非互換が発生する。情報化時代において、これによって発生するヒト・モノ・カネの社会的コストは決して見過ごすことはできない。

 試案では字体の不統一はあくまでも印刷文字の上でのことであり、手書き文字としては不統一はないとの考えを示している(「4 追加字種の字体について」pp.(11)-(12))。この考え方は千年以上つづく漢字の伝統に基づくものだ。例えばしんにょうは遠く中国南北朝の時代から一点で書かれてきたのであり、ここで示された考え方は何ら新奇なものではない。したがって反対する理由もない。

 その上で試案は、「(付)字体についての解説」のうち「2 明朝体と筆写の楷書との関係について」の項目を追加することにより、この字体不統一を詳しく説明しようと努めている。

 この方法自体に反対するものではないが、これではまだ不十分と考える。前述したように常用漢字表は全体の半分にしか認知されていないのが現状だ。これほど知られていないのに、本表ではない「(付)字体についての解説」にまで注意を払う人がどれほどいるだろうか。もっと抜本的で分かりやすい対策をとらないかぎり、字体の不統一は人々に理解されないし、誤解によって混乱も発生してしまうだろう。

 私が提案したいのは表内に明朝体と並んで筆写の楷書を示すことだ。それも追加字種だけでなく、従来の表内字をあわせた2,136文字総てについて示すべきだ。これは明朝体により字体を示すことにした常用漢字表制定以来の大変更となるが、混乱回避以外にも効用もある。

 試案では「1 情報化時代の進展と漢字政策の在り方」のうち「(4) 漢字を手書きすることの重要性」という項目をもうけ、手書きで書くことの大切さを強調している。これについても賛成するのだが、現状ではいくら大事だと強調しても、具体的に新常用漢字表(仮称)の中で具体的に示されているのは明朝体だけだ。これでは手書きの重要性が反映されているとは言えない。しかし、明朝体と手書き文字を並べて示せば、その大切さを説得力を持って伝えることができよう。なによりも不統一による迷いが生じる余地がない。これはぜひとも検討していただきたいと考える。

▼2-4 JIS文字コードとの関係について

 試案にある追加191字はほとんどがJIS X 0208で表現できるが、4文字だけJIS X 0213でないと符号化できない文字がある。
 さて、そこでこの4文字を書こうと思うが、それができない。なぜなら、この文章はパブリックコメントにメール送信により応募するつもりで書いているからだ。最も普及しているメール送受信用の符号化方法であるISO-2022-JPは、文字セットをJIS X 0201ラテン文字JIS X 0208に限定している。つまりJIS X 0213だけに収録されている文字は、通常メールには使えない。このことが、まさに新常用漢字表(仮称)におけるJIS文字コードの問題点を示す例となっている。

 とはいえ、この文章では略字体といわゆる康煕字典体を書き分けない限り説明がすすめられない。そこで以下、略字体の方に「A」、いわゆる康煕字典体の方に「B」をつけて書き分けることにする。

 そのJIS X 0213だけに収録されている新常用漢字表(仮称)の4字とは、「頬B、顛B填B、剥B、叱B」だ。まだJIS X 0213の文字セットは完全に普及したとは言えず、携帯電話におけるシフトJISや、インターネットメールやウェブにおけるISO-2022-JPなど、文字セット中の漢字レパートリをJIS X 0208に限定する符号化方法が広く使われている状況だ。これにより、そうした符号化方法を実装しているメーカー(とくに情報機器に搭載されるフォントベンダー等)は、新常用漢字表(仮称)への対応をどうするか対応に迷うことになる。ただし、この問題について試案は以下のように規定し、問題の回避をはかっている。

〈付〉情報機器に搭載されている印刷文字の関係で、本表の掲出字体とは異なる字体(掲出字体「頬B、賭B、剥B」に対する「頬A、賭A、剥A」など)しか使用できない場合については、当該の字体の使用を妨げるものではない。(試案、p.2)

 つまり、この付則によりJIS X 0208で表現できない文字は、無理にいわゆる康煕字典体に置き換えなくてもよいと読める。一見すると的確な規定に見えるが、ここで問題になるのは「当該の字体の使用を妨げるものではない」という、どっちつかずなお役所言葉だ。この文言に惑わされて、「妨げるものでないのなら、いわゆる康煕字典体の方を実装しても良い」と解釈されると問題が発生する。

 具体的に説明しよう。この「頬B、顛B填B、剥B、叱B」は、いずれも包摂分離によりJIS X 0213で追加された字だ。これらの字に関する限り、JIS X 0213JIS X 0208は非互換の関係にある。

 では、この非互換とはどういう意味か。JIS X 0208では「剥B、叱B」は包摂の範囲内にふくまれるから、規格の上からは28区24点に「叱B」を割り当てても問題なく適合する。一方、JIS X 0213は「叱A」と「叱B」を区別して別々の符号位置に収録する。そこでJIS X 0208JIS X 0213の実装環境の間で情報交換をすると、JIS X 0208の側は「叱B」のつもりで送信したものが、JIS X 0213の側が受信すると「叱A」に文字化けしてしまう。これが非互換とよばれるものだ。

 では、このような状況に、試案はどのように作用し得るだろう。改めて先の引用部分を読み直すと「当該の字体の使用を妨げるものではない」とあるので、どちらでもよいと読める。つまり、28区24点に「叱B」を割り当ててることを推奨しない代わりに、べつに否定もしていない。

 そうであるならば、JIS X 0208を実装しているメーカーの中には、略字体である「叱A」(当該の字体)よりも、新常用漢字表(仮称)で示されたいわゆる康煕字典体の「叱B」を使用するところが現れる可能性は十分にある。しかし、もしそのような実装をすれば、前述のとおりJIS X 0213との実装環境との間で文字化けを発生させてしまう。

 じつは問題はこれに留まらない。「顛B填B、頬B」は同時にJIS X 0208箇条6.6.4「過去の規格との互換性を維持するための包摂規準」(互換規準)にも含まれている。これにより「顛B填B、頬B」を15区56点、43区43点に割り当てた場合、この互換規準を適用して、これら以外に「鴎B、涜B」など83JISで問題となった全29字まで、いわゆる康煕字典体で実装可能になる。そうした実装をした場合、その分だけJIS X 0213との非互換が拡大してしまう。厄介なことに、このような実装をしてもJIS X 0208には問題なく適合するのである。

 ではこの問題を回避するにはどうすればよいか。もちろん文字コードについては国語施策は深入りせず、具体的な対応はJISに一任すべきだ。しかし、その前に国語施策として意志を明確にし、JISが対応しやすくする必要がある。

 具体的には前掲のような中途半端な文言はやめ、「頬A、填A、剥A、叱Aを許容する」など、これらに限っては略字体を許す姿勢を明確に示すべきだ。ここでいわゆる康煕字典体に囚われた表現を残すと、JISが適切な対応をしづらくなってしまうからだ。あわせてこの部分で「具体的な実装については、別途されるはずのJISの対応を待つべきである」などの文言も加えてもよいだろう。これについて、ぜひ適確な対処をお願いしたいと考える。

▼2-5 その他の意見

 最後に細かな意見を列挙する。

  • ◎試案のPDF文書はプリントアウトをPDF化したものだったが、文字の検索ができず非常に使い勝手が悪い。解像度も低く字体を細かく見ることがむずかしい。もともとデジタルで作成したものをアナログにして、それをまたPDF化するなど、デジタル・リテラシーの上で大きな疑問がのこる。以前から議事録や配布文書を同じ方法でPDFにしたものが目立ったが、出現頻度数調査のような長文資料は検索可能かどうかで使い勝手は雲泥の差となる。Word等から直接PDFに書き出すことがむずかしいとも、あるいはフォント埋め込みが何らかの問題を発生させるとも思えない。ぜひとも改善を求めたい。
  • ◎「4 追加字種の字体について」のうち「(2) 追加字種における字体の考え方」に「・情報機器でも近い将来この字体に統一されると考えられる」(p.(12))との一文があるが、その根拠は何だろうか。根拠を示さずにJISの字体について一方的にコメントすれば、かえってJISの対応を縛ることにならないだろうか。
  • ◎「詮」の入り屋根の有無は「(付)字体についての解説」のうち「1 明朝体のデザインについて」で区別されるかどうかが不明だ。もしも区別されないなら「3 点画の性質について」の中に加えていただきたい。もしも区別されるなら、その旨一言ほしい。
  • ◎『「「新常用漢字表(仮称)」に関する試案」に対する意見募集の実施について』(http://www.bunka.go.jp/oshirase_koubo_saiyou/2009/shin_kanji_ikenboshu.html)にある〈コンピューターウィルス対策のため,添付ファイルは開くことができませんので,必ずメール本文に御意見を御記入ください。〉との項目に強い違和感を覚える。添付ファイルにウィルスが潜む可能性があることは否定しないが、適切な対策を施すことでリスクは抑えられるはずだ。むしろ試案のように字体が問題になる案件にとっては、PDFで意見を作成してメールに添付できないデメリットの方が大きいと思える。この意見そのものが、それに該当することは2-4で述べたとおり。利便性を犠牲にしてまで過大にセキュリティを追求するのは如何なものか。次回のパブリックコメントでは改善を求めたい。


以上

後記:文中「1,0006字」とあるのは「1,006字」の間違いです。

後記2:文中「顛B」とあるのは「填B」の間違いです。間違えたまま応募してしまった様子。お恥ずかしいかぎりで、お詫びして訂正します。(2009.12.10)