本日の一言「漢字など使わない方がいい」

異体字など何万も用意しなければならないなら、漢字など使わない方がいいと極端な意見に走りたくもなりますよ。

――2007年1月17日19日付朝日新聞朝刊15面(東京本社12版)「対談IT時代の漢字」より
野村雅昭氏(早稲田大学文学学術院教授)の発言


いやあ、豪快! 人間の考えってのは変わらないものですね。額に入れて飾りたい。

以前から朝日字体の歴史、あるいは新聞と略字体の歴史には興味があって、朝日新聞の社史*1日本新聞協会の協会史*2を調べてたことがあるんですが、これがどうも書いていない。ところが、1月15日付11面(東京本社12版)「漢字、世につれ――朝日新聞の字体 一部変わります」に、

(当用漢字字体表では表外字の字体は示されなかったので)朝日新聞はそれを補おうとしたのです。(改行)印刷を担当する活版部を中心に、1文字ずつ詳細に検討を重ねたと記録にあります。(中略、改行)新聞づくりに必要な漢字として、当用漢字を含む4千字を選び、活字の形を整えていきました。一通りそろったのは56年です。その後も60年まで改訂を重ねました。

とあって、いやあ、そうだったのか、と。国語審議会で、いわゆる5委員脱退事件が起きたのが1959年で、ここを折り返し点に少しずつ当用漢字表の制限主義が問題になりはじめたように思います。だとすれば、朝日字体が一応の完成を見たという1956年はその前夜。うーん、なるほどねえ。

それにしても、記事にある「記録」とやらがよみたいものですのう。今思ったけど、『新聞印刷技術』を探したら載ってるかもしれないなあ。

ところで話はもどって、冒頭の対談の最後に野村氏は以下のように言っている。

そう、漢字はまだ制限できるが、語彙は制限できない。放送で使う言葉も文字と無関係ではない。「耳の言葉」と文字の共通性、バランスを文化審議会でも考えて欲しい。漢字と語彙の関係を、将来の日本語の問題と認識することが大切ですね。

この指摘は大切だと思う。とかく漢字表を問題にするあまり、われわれは漢字1文字ばかりを取り出して考えがちだけど、実際には漢字は他の字と結びつき、語として使われるわけで、当然ながら語彙との関係を無視すべきではない。これは本当に真っ当な意見です。

ぼくは第8回から漢字小委員会の傍聴を続け、つい先日、今期最後の国語分科会も傍聴してきました。その報告をすっかりなまけていて、少なくとも国語分科会の報告くらいはしなければと思っているところです。これについては後日を約すとして、上記発言に関わる部分だけ、ちょっとご報告しておきましょう。

  • 2006年12月19日、第13回漢字小委員会にて、氏原主任国語調査官から報告されたところによれば、文化庁は現在新たに凸版印刷で使用された漢字の頻度調査を進めております。これは2000年に発表された、いわゆる新凸版調査に続く内容。従来この調査についてはサンプルが偏っているのではという声もありましたが、これに応えようとしたのか週刊誌として「週刊文春」を加えているのが大きな目玉。さらに、任意の漢字について出現時の前後5文字も含めて調査できないかを検討中とのこと。これがもしも実現すれば、語彙の頻度もかなりの程度まで調査できることになります。

この項、取材ノートのメモを元に書きました。万が一メモの取り違いがあればご容赦を。

※付記
「対談IT時代の漢字」の掲載日を1月17日としていましたが、19日の間違いでした。
お詫びして訂正します。

*1:現行の4冊本の他に九十年史と七十年史。

*2:十年史、二十年史、三十年史、四十年史までは調べたけど、現行の五十年史を読む前に力尽きました。