「もじもじカフェ」で講師をやります

すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、「もじもじカフェ」という集まりで話させてもらうことになりました。お題は「コンピュータの文字はなぜ化ける?――“ゆるい”技術としての文字コードを考える」といいます。

日時:2006年11月26日(日) 15:00〜17:30(開場14:30)
会場:バルト(東京・阿佐ヶ谷)
ゲスト:小形克宏フリーライター
参加費:1,000円(ワンドリンクつき)
もじもじカフェ第4回開催案内

来週あたりすこし詳しいレジュメを公開しようと思います。ひとまずここではさわりだけ。

文字コードの説明をしようとすると、どうしてもむずかしい話になっちゃいますよね。0x5cがどうしたとか、JIS X 0208がどうとか、暗号みたいな固有名詞が連続して、素人にとってはそれだけでストレスです。

今回の眼目は、ふだん文字コードの存在を意識しておらず、しかし文字が化けた経験はあるという人々に対し、なぜそのような現象がおこるのか、またその裏にはどのような技術があるのか、それはどんな意味があることなのか、アウトラインだけでもご理解いただこうというものです。

そうした場合には枝葉末節はさておき、なるべく核となる本質を提示するのが一番ではないかと思いました。では、文字コードの本質とはなんでしょう?

文字コードの「仕組み」を簡単にいうと、以下の通りになると思います。

文字の形そのものを相手に伝達する代わりに、あらかじめ決めておいた符号を相手に送り、受け取った相手はルールにもとづき符号を文字の形に置き換える。

このうち、文字コードの本質は「文字の形そのものを相手に伝達する《代わりに》」という部分にあるのではないか、そのようにぼくは考えました。

たとえば、符号を受け取った側が見る「文字の形」は、必ずしも送った側が見ていた「文字の形」と同一であるとは限りません。なぜなら符号を受け取った相手がどのような文字を表示させたか、送信した側は関知できないからです。相手が文字化け(いわゆる字体化けも含め)しているか否か、こちらは分からない。

また包摂規準っていうものも、要するに漢字字体の「ゆれ」を明文化したもので、つまり文字そのものに潜む「ゆるさ」を言い当てようとしたものと理解できます。

つまり文字コードとは、元々パーフェクトに文字の形を伝えようとするものではなく、「ゆるさ」を前提とした技術と言えませんか? というところから前述のような「“ゆるい”技術としての文字コードを考える」というタイトルが出てきました。

更にありがたいことに、こうした部分を議論する限り、さきの暗号のような固有名詞には触れずにすみます。でもまあ、まったく触れないわけにはいかないでしょうね。「ゆるい」を理解してもらうには「ゆるくない」現実を対照する必要がありますから。

とりあえず、思いつくままに話そうと思ったことを書き連ねてみました。まだ席に余裕があるそうなので、こんな話でも興味をもつ方がいらっしゃれば、ぜひぜひ足をお運びください。