THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ

THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ

矢作俊彦は好きな作家だ。はじめて読んだのは光文社版の「マイク・ハマーへの伝言」で、たしか1982年か83年くらいのことではなかったか。以来書店で見かけると買いつづけた。
その頃よく仕事をさせてもらっていた夏目房之介さんも大の矢作ファンで、ダディ・グース名義のマンガ・スクラップを借りて読んだことが懐かしく思い出される。これにより、じつは矢作作品の多くが、ほぼそのままの形で先行してマンガにより表現されていたことを知り、驚いた記憶がある(当時、本人は矢作俊彦ダディ・グースを一切否定していた由)。


それも『スズキさんの休息と遍歴』あたりまでで、最近はとんと疎遠になっていた。しかし、『ららら科學の子』は強烈だった。とくに年の離れた妹とのシーケンスは胸が締め付けられるようで、そうした感情を喚起させられることは今までの矢作作品にはないことだったから、また興味が復活したのかもしれない。

ららら科學の子

ららら科學の子


で、この『ロング・グッドバイ』だ。どうやら今まで矢作俊彦の作品を、根本的に読み違えていたらしい。スタイリッシュな文章だから、それに目くらましさせられて、これを「カッコイイ」と思っていた。でも違う、矢作作品の主人公に通底していたのは、じつはそうしたスタイリッシュな自分、そんなスタイルでしか生きられない自分が嫌になるいう、自己嫌悪/自己否定ではないだろうか。そんなことを、この作品を読み終わって思った。つまり、登場人物のアイビー・ファッションや、クルマの渋い好み、いきがったセリフ回しなんかに憧れていた読者というのは、とんだ間抜けな人間だったことになる。


ただし、今までの矢作作品と同様、主人公はきわめて倫理的な(きわめて個人的なものではあるが)生き方を貫こうとする。これがとても印象的であるのは変わらず、同時に救いでもある。本当に孤独な人だ。


それにしても、子供の頃からさよならと言われるのが辛いという女性が、真夜中に一人で自宅に訪ねてきたのに、自分の部屋が汚いという理由だけで帰す(意図せず結果的にそうなったにせよ)というのはどういう神経だろう。汚い部屋を見られるのがそんなに怖いのか。そんなことを気にする相手でないことは知っているのに。もちろん主人公はそういう自分が嫌なのだ。しかし、そういう自分を変えられないことも分かっている。主人公の元から友人知人は一人残らず去っていく、なのに主人公は後味の悪い「Wrong Goodbye」しかできない。こう考えると、いささか辛い小説ではあります。


内容の他に、外見についても書いておこう。僕のように'80年代から出版の世界に入った人間にとって、本書の本文(ほんもん、と読んでね)に使われているMM-OKLは、特別の書体だ。やはり落ち着くし、本文に集中できる。電算写植による組版も危なげがなく安心して読める。これで別にいいんだよなあ。
ただ、小文字を縦中横にして組んだ箇所が1箇所あるのが気になった。この前後に大文字を縦中横にしている箇所が続くので、それに引きずられたのだろう。しかし、本書では一貫して小文字は横に倒して組むのがルールだったはずだ。前後で違和感があっても割り切って横にすべきだったろう。


これは本を買った日にも書いたが、ジャケットのイラストレーター名がないのは明白なミスだ。これは大変に失礼なことだ。それから、イラストに描かれているいる(キャプチャされている)新聞には、2003年と覚しい阪神連勝の見出しが見えるが、これはなぜ小説の中で描写されているように2000年の新聞を使わなかったのか。べつにトラキチを怒らせるつもりはないが、阪神の連勝がヘッドラインになる年というのはそうはない。この部分だけで小説の中の時間とジャケット・イラストの時間が違うことが分かってしまい興醒めとなる。とにかく作者は阪神について一言も触れていないのだ。ひょっとしてイラストレーターに何か別の意図があったのかもしれないが、パッケージとしては余計なことだ。編集者がダメを出すべきだったろう。もっとも描いた人の名前を載せ忘れるくらいだから、できたイラストをろくに見てなかったのかもしれないが。


また、表紙に書かれているP-38ライトニング戦闘機は、本文といったいどういう関係があるのだろう。読むかぎりでは、この飛行機はまったく登場しない。主人公の「友人」がエースパイロットを自称するが、それはベトナム戦争のことで、第二次世界大戦は無関係。ここでも混乱が見られる。


最後に、最後の本文をめくって最終ページ(右ページ)が奥付では余韻がなく、せかされているようで辛い。奥付は左ページに置き、その前に1ページの白紙がほしかった。折の関係でページが足りなかったという言い訳は出来ない。前付・後付でいくらでも調整はつくし、8ページ増やしたところで原価率に大きく差が出る訳がない。極論めいたことを書くが、左ページに奥付がない本というのは、編集者の見識を問われても仕方ないと思う。