僕はもう二十年近くフリーランスで編集の仕事をしている。でも、数年前から編集者としての自分を諦めるようになった。このままこの仕事を続けていても、今以上の自分になれない。


そんなこともあり、自分で調べて文章を書くようになった。しかし、ライター部門は真っ赤な大赤字であって、とても利益など出せていない。お金をいただくのがその人の仕事というなら、今でもやはり僕は編集者だ。しかし、意識としては違う。どうして編集者を諦めたのかは、そのうち書こう。以下に書くのは別のことです。




今年の春、娘が小学校に入った。小学校では保護者は自動的にPTAに入会し、そのうちの運の悪い人間は○○委員をおおせつかることになる。ジャンケンが弱い僕は、このようにして広報委員になった。


広報委員会の初めての会合に出席した僕は、いつものとおり、筆記用具をもっていくのと同じ気持ちでノートパソコンをもっていった。ただでさえ男が他にいなかったところに、悪目立ちもいいところ。こうして僕は副委員長になってしまった。本当は委員長ということだったけど、1年生の親、それも長子(つまり、まったくの未経験者ということ)ということを訴え、勘弁していただいた。


うちの小学校の広報紙は学期ごとに1号、都合1年度で3号出す。全部で25人ほどの委員がいるが、正副委員長をのぞいてこれを3つの班に分け、この班が1号ずつ編集することになっている。もちろん編集経験があるのは僕だけ。前述のように僕は編集者としては落伍者もいいところなのだけど、こうして何の因果かリーダーとして素人のお母さま方をまとめて、PTAの広報紙を作ることになった。これがね、けっこう楽しい、面白い。


保育園の頃も、僕は保護者会で役員をやったりしていたが、これにはあまりいい思い出がない。男はいつでも少数派で、僕にはどうしても理解できない人間関係のクモの巣に捉えられ、力むほどに空回り。女性と一緒に何かをやることは、僕にはできない。だから小学校では、おとなしくしていようと思っていた。


お母さま方は、みんな真面目で勤勉だ。それはそうだろう、今まで自分がやったこともない編集という仕事をまかされたのだから。自分にできるのか不安で仕方ないはず。でも僕には分かる。A3二つ折り裏表4ページという分量は、新人研修でやらされる最低限度のページ物だということを。一つの班は7名前後。これだけいれば実質2ヵ月もあれば十分に入稿までもっていける。だから、僕の仕事は「必ずできる」とはげますこと。


うーん、ちょっと長くなっちゃったな。この辺のことはエピソードも交え、いずれ改めて書くことにしましょう。