電子書籍が普及した未来(追記あり)

さきほど、つぶやいたこと。

  • まず「電子書籍が普及した未来」を、シンプルに「個人が自分や友人の作品を、簡単に市場にのせられるようになる未来」と定義してみる。それは、どんな未来なのだろう?
  • それは今まで出版社が持っていたノウハウ、コネクション、企画力が、ゼロに等しいほど減殺され、個人と同じスタートラインに立たされることを意味するだろう。今日の著者が明日のライバルになる。だって、著者がそのまま一つの出版社になってしまうようなものだから。既成の出版社は今以上に苦しくなる。
  • 一方で、すでに読者をつかんでいる、あるいはつかむ能力を持っている個人にとっては、この上なく望ましい未来であるはずだ。
  • 従来、編集者が果たしてきた役割を一言でまとめれば「最初の読者」となる。しかし電子書籍を出す個人にとって、その役割を果すのは市場の反応だ。ネットはそれを加速させる。著者は市場の反応をみて改訂したり次作を出せばよい。編集者はいらなくなる。あるいは必ずしも必要ではなくなる。
  • 「最初の読者」は市場ばかりではない。書くべきものを持っている著者はたいてい仲間を持っている。親しい仲間内の反応が新たな著作物を生み出す。共同で作ることもあるだろう。友人に表紙やデザインを頼んだり、自分でやるのもOK。手軽でアナーキーな著作物。電子書籍はそれを促進する。
  • もちろんそれは玉石混交だ。しかし心配ない、市場が「石」を淘汰してくれる。そして「玉」を育ててくれる。たとえそれが今日の私達にとって好ましくない「玉」であっても。
  • ところで、ぼくは30年以上も前から、プロの編集者抜きに手軽でアナーキーな本作りをしてきた場所を知っている。コミックマーケットだ。たぶん個人が電子書籍を出すという風景は、コミケの参加サークルのそれとすごく似たものではないか。
  • ここでコミックマーケットがもつ経済規模を思い出してほしい。そこではわずか3日間で数十万人が殺到し、億に近いお金が動く。そこに関わる人々は、そのまま電子書籍の著者になり顧客になるだろう。
  • 電子書籍が普及した未来。それは既成の出版社とコミケが、同じスタートラインに立ち、ヨーイ・ドンで競争をする未来であるはずだ。それを辛いととるか好機ととるかは、あなた次第。一つだけアドバイスすれば、紙や印刷への執着を捨てること。
  • ただし、現状のコミケはゆっくりと終わりを迎えるだろう。年に2回、お台場に行かないと本が手に入らないという祝祭性がコミケの隆盛を支えてきたけれど、それはやはり永遠ではない。つまり既成の出版社と同じくらい、コミケにとっても電子書籍は「黒船」だったのだね。


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追記:この文章には重大な見落としがある。現在のコミケで販売されている同人誌の多くが、著作権法違反と考えられることだ。その意味から、コミケの参加サークルの全てが、同じ内容のままで電子書籍に移行できるわけがない。ただし小文の趣旨は、電子書籍が個人に道を開くものであるならば、その活動のありさまはコミケの参加サークルと近似したものになる可能性が高いというところにあった。もっといえば、我々は恐れる必要は何もない。今まで面白がってやってきたことを、場所に応じてやればよい。この場合の我々が何を指すか、あえて曖昧にしておきます。