改定常用漢字表試案への意見

以下は昨日締め切られたパブリックコメントへの応募原稿です。
はてな記法に従い整形したのと、送信後に発見した明白な間違いである文末の中線部以外は送信したそのものです。項目だけを以下に抜き出します。

  1. 〔総合〕漢字表の名称を『公共漢字表』にせよ
  2. 〔字体〕「頬、填、剥、叱」は携帯電話で文字化けを起こす
  3. 〔字種〕「諜」の削除に疑問あり
  4. 〔字種〕「楷」の収録を支持するが、「錮」は削除せよ
  5. 〔総合〕読み書き能力調査をしていない件
  6. 〔総合〕〈手書き自体が大切な文化である〉の妥当性について
  7. 〔総合〕「表の見方」の混乱について
  8. [総合]「*」の文字は「1 明朝体のデザインについて」が適用可能なのか?
  9. 〔総合〕引用符として< >を使ってはいけない

最後の3項目は、はじめて公開しますが、その他は公開ずみ。ただし最終的に様々に手を入れてあります。
なお、試案は以下から入手可能です。

〔総合〕漢字表の名称を『公共漢字表』にせよ

『国語分科会漢字小委員会における審議について』(2008年国語分科会了承)では、「今後更に検討すべき課題等」のひとつとして、〈「常用漢字表の定義」及び「新漢字表の名称」の問題〉を挙げ、以下のように述べている。

また、常用漢字という名称でありながら「常用性(≒出現頻度)」以外の要素で選定されている漢字が入っている一方、「常用性」が認められながらも選定されていない漢字がある。この点は現行の「常用漢字」の性格をあいまいにしているところである(後略)(p.7)

この一文は真正面から本質的な問いを投げかけたもので好感が持てたが、結局あたらしい名称には生かされなかったことを、いかにも残念に思っている。『改定常用漢字表』という答申名が従来の国語施策を継承するものであることは理解するが、そうした命名の仕方が改定後の常用漢字表にとって本当に良いことなのかどうか、改めて考えるべきではないだろうか。

たとえば常用漢字表に関して、よく聞く世間一般の誤解に「なぜ国が個々人の漢字の使い方を指図するのか」というものがある。もちろん「現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」である常用漢字表は指図などしていない。しかし、そうした一種の「不快感」が広く共有されているのも確かのようだし、だからこそ常用漢字表への関心を遠ざけているようにも思える。

私は常用漢字表を、全ての局面で墨守すべきとは思っていない。改定常用漢字表(以下、試案)の「コミュニケーションの手段としての漢字使用」という考え方が示すとおり、これは「この範囲で漢字を使えば相手に伝わる」という具合に、多くの人とコミュニケーションをする際に使うものだ。したがって自分を表現する文章、あるいは私的な文章にまで、これを持ち込む必要はない。

おそらく前述の「不快感」を感じている人々の多くは、常用漢字表が用途を限定したものであるということをご存知ないのだろう。もしそうだとすれば、なにか制定者側にミスリードの責任はなかったろうか?

ここで想起すべきは、冒頭に引いた『国語分科会漢字小委員会における審議について』の問題提起だ。そこでは現状にそぐわない名称が付けられていることで、常用漢字表自身の性格も曖昧になってしまっていることを指摘していた。ということは、その用途・性格をストレートに反映した名称に変更すれば、世間の誤解は解け「不快感」も解消するのではないか。

かつて国語審議会漢字部会で主査をつとめた岩淵悦太郎は、1977年に以下のような文章を書いている。

この表が何を目的とするものであるかについて議論があった。(中略)いかなる分野でも、いかなる場合でも用いられる漢字表ということでは、とても成り立ちそうもない。そうかと言って、「一般社会」ではあいまいに過ぎる。そこで、具体的に、法令・公用文書・新聞・雑誌・放送など、一般大衆を対象とする文章を書かなければならない分野で用いるための表と考えた。(中略)
これらは言わば公共的なものである。私的なものや、専門分野に属するものは、一応除外して考えることとした。言わば、公共的なコミュニケーションの効果をあげる文章を書くためのものと考えたのである。そのためには当然、受け手に理解され、事柄が受け手に伝わるものでなければならない。
私は、コミュニケーションの場を、“仲間うち”と“広場”とに分けて考えている。以上に述べてきたことは言わば、“広場”のコミュニケーションである。
岩淵悦太郎「試案新漢字表の考え方」、『言語生活』307号、1977年、筑摩書房、pp.21-22)

ここでは国語施策が示す漢字表の用途について、明快に〈公共的なコミュニケーションの効果をあげる文章を書くためのもの〉と言っている。この岩淵の一文にもとづいて、私は『公共漢字表』という名称を提案したい。おそらくこの名称に対しては、以下のような反対があり得よう。

  • 常用漢字表』に比べて、役割がより小さく感じられてしまう。
  • 「公共」では、お役所専用の漢字表のように思われる。

これに対する反論を述べると、むしろ「常用」という言葉が本来の用途に過ぎた大きさだったのであり、だからこそ人々の誤解を招いたことを思い出していただきたい。また、「公共」という言葉は、岩淵の前掲文章にも明らかなように、社会全般をあらわすのが第一義であるはずだ。常用漢字表の制定から28年、ここで身にあった服に着替えるべきと思うが、いかがであろうか。

〔字体〕「頬、填、剥、叱」は携帯電話で文字化けを起こす

以下、JIS X 0208例示字体を「頬A、填A、剥A、叱A」、試案にある通用字体を「頬B、填B、剥B、叱B」、一括して呼ぶ場合は前者を「A字体」、後者を「B字体」と呼ぶ(なお、前回も書いたが、ISO-2022-JPでは試案の字体をすべて表現できないにも関わらず、それへの配慮がないままパブリックコメントをメールで受け付けたことを、私は大変残念に思っている)。

情報機器から試案をみたとき、最大の問題点は現在の携帯電話のほとんどは「頬B、填B、剥B、叱B」を符号化できないことだ。これらB字体はJIS X 0213に収録されているが、現在の携帯電話のほとんどはそれよりも文字数の少ないJIS X 0208の文字セットに基づいている。この結果、携帯電話のほとんどはB字体が符号化できない。

これについて、私は『INTERNET Watch』誌(インプレス)に以下のような文章を寄稿した。


あらためて簡単にまとめると、試案「表の見方」にある「付」の一文により、現在の携帯電話等ではB字体が表示できないという問題は免罪される。

情報機器に搭載されている印刷文字字体の関係で,本表の掲出字体とは異なる字体(中略)しか用いることができない場合については,当該の字体の使用を妨げるものではない。(試案、p.2)

しかし、すべての問題が解決するわけではない。たとえば、Windows Vista以降やMac OS X10.1以降等のパソコンから、携帯電話にB字体をメールするとどうなるか。この場合、ほとんどの携帯電話はB字体を符号化できないので、「?」などの意味不明な文字に置き換えてしまう。こうして前掲「表の見方・付」の一文は、画面表示や印刷の問題は解決できても、情報交換・情報処理などの前には力を失う。

この問題が厄介なのは、「新しい常用漢字表にもとづこう」と考えた善意の人が、意識せずに文字化けを撒き散らしてしまうことだ。内閣府がおこなった調査『主要耐久消費財等の普及率(一般世帯)』によると、2009年3月における携帯電話の世帯普及率はじつに90.3パーセントにのぼる。すなわち、改定常用漢字表がそのまま施行された場合、国民のほとんどが持つ機器が、そのまま前述の文字化けを伏在させることになる。試案が「情報化時代への対応」を謳う以上、この問題への対処を怠るべきではない。

しかし、現実には解決はむずかしいと言わざるを得ない。根本的にはA字体を通用字体にするか、これらの文字の収録そのものを取り止めることでしか解決は望めないからだ。一部にはA字体を許容字体にするよう提案する声もある。それも一案だが、画面表示を解決するにとどまる限定的な対策であることは指摘しておきたい。

問題となる4文字のうち、「叱」については「凸版調査(3)」で「叱A」が1,837位、「叱B」が2,168位と、試案に収録されなかった字体の方がむしろ頻度が高いことが分かっている*1。また、国語研究所の「現代日本語書き言葉均衡コーパス」でも「叱」については同じ使用実態が明らかになっている。同所の高田智和氏はこの字について〈「印刷標準字体」(引用者註:叱B)よりも第1水準・第2水準の字体(引用者註:叱A)の方が、印刷文字としては普及している〉*2と指摘する。

試案は追加字種における字体の考え方として、〈当該の字種における「最も頻度高く使用されている字体」〉を採用したことを掲げている(試案、p.(12))。そうであるなら、最初から「叱B」は採用されるべきでなかった。また、もともと表外漢字字体表で「叱A」は印刷標準字体の個別デザイン差であることから、「叱A」が通用字体になることへの抵抗はあまりないと考えられる。

しかし、残りの「頬A、填A、剥A」に対しては、使用頻度の点からいっても、またこれらが表外漢字字体表の簡易慣用字体ではないことからいっても、これらを通用字体にすべきとは思えない*3。とはいえ、前述のようにB字体のままでは文字化けが発生するわけで、私自身も悩みながらこの文章を書いている。これら3字を許容字体にすることは最低限度の措置として、いっそ収録中止を考えてもよいかもしれない。

〔字種〕「諜」の削除に疑問あり

今回の試案では、第1次試案段階から比較すると「聘、憚、哨、諜」の4字が削除されている。このうち「諜」の削除理由が私には分からない。

3月のパブリックコメントでの意見をまとめた『意見募集で寄せられた意見(追加及び削除希望の字種一覧)』をみると、削除要望が他の3字はすべて6件以上あるのに、この字だけは3件にとどまっている。さらに『漢字出現頻度表 順位対照表(Ver.1.3)』によると、「凸版調査(3)」での「諜」の使用頻度は2,246位であり、他の「聘(3,064位)、憚(2,749位)、哨(2,824位)」と比べると高順位だ。この字が話題に上ったのは第34回漢字小委員会に限られるが、とすると、この字の削除はこの回の以下の出久根委員の意見が通ったものと考えざるを得ない。

○出久根委員;ただ今の笹原委員のお話の「哨(しょう)」ですが,これに関連しまして,例えば削除すべき文字の50番に「諜(ちょう)」という漢字がありますね。これは,「間諜」,「諜者」―スパイと言うのか,こういうもので使われます。これなんかもどちらかと言うと軍事用語ではありませんけれども,何かそういう雰囲気の言葉でして,現在はどうなんですかね,この「諜」という漢字はそんなに使うものでしょうか,これはどういうわけで入ったんでしょうかね,もともとあったものでしょうか。(『第34回国語分科会漢字小委員会・議事録』p.11)

この発言は、科学的な根拠に乏しく、単に「諜」という字に抱いている主観的イメージを語ったものに過ぎない。常用漢字表に「軍事用語のような雰囲気」を持った漢字を入れてはいけないと主張したいなら、まずその根拠を示すことが必要であるはずだが、前掲の発言のどこを探してもそれはない。

そもそも私は、こうした特定の分野で使われていることを理由に排除する発想自体に疑問を感じる。この時の委員会では、字種をめぐる審議の後で、教育的な見地から「淫,呪、艶,賭」の収録が望ましくないとの意見が教育界出身の委員から出され、それに対して、特定の文字が教育上悪い字だとするのは、言葉狩りにつながらないかと指摘される一幕があった(同議事録 p.30)。同委員の「諜」への考えも、まさに同じ指摘が可能であり、安直で危険な発想と言えないだろうか。

字種をめぐる審議に話を戻すと、他の委員が出した「聘、憚、哨」の削除要望では、いずれも客観的な根拠があげられている。そうした意見に対して、私個人は必ずしも賛成できるものばかりではないのだが、大事なことはそれらの委員がしたように、自分の先入観だけで発言をしないということだ。これはルール以前のマナーであるはずだ。前掲意見の最後の部分、〈これはどういうわけで入ったんでしょうかね〉に至っては、それまでの審議の積み重ねを足蹴にするものとも考えられる。議事録や配布資料を参照すればよいだけの話で、委員としての資格まで疑わせる。

この発言に対しては、直後に林副主査がたしなめるように「諜」を入れた理由を述べている。だからおそらく何か違った理由で削除されたのだろう。しかし万が一、こうした根拠不明な意見に字種が左右されていたとするなら、それは試案全体の信頼性をも傷つけるものだということを指摘したい。また、この字が同委員の意見以外の理由で削除された場合は、それをぜひご説明願いたい。そうした説明がないと、前掲の意見が通った可能性が残ることになるからだ。

〔字種〕「楷」の収録を支持するが、「錮」は削除せよ

 試案でもっとも基本となる考え方は「コミュニケーションの手段としての漢字使用」だ。この考え方に立てば、あまりに頻度が低い字は追加すべきではない。しかし、ある字がどのようにして「頻度が低い」とできるかは、必ずしも自明ではない。

頻度については『漢字出現頻度表 順位対照表(Ver.1.3)』という資料が公開されている。そこでこの資料を使って、追加字種の中から「頻度が低い字種」をあぶり出そうとしたのだが、残念ながら中途で断念せざるを得なかった。

まず、ここには順位のみで使用頻度数が記載されていない。日本の漢字においては2,000字弱が9割以上を占める一方、残り1割以下を埋めるのに数万字が必要となる(このありようは、ジップの法則として知られている)。1位と500位の頻度の差はきわめて大きいけれど、2,500位と3,000位の差はより少なくなる。3,000位と3,500位の差はさらに少ないはずだ。また、どのような頻度調査でも上位100を占める漢字はさほど変わらないが、2,000位の前後100文字は調査ごとに変わってくる。

つまり頻度の低い漢字は、ちょっとしたサンプルの異同で大きく順位が変動する。したがって、低頻度の漢字を検討する際には十分に慎重であるべきだ。なのに使用頻度を伏せられたまま順位だけで比較すれば、結果は恣意的なものにならざるを得ない。そもそもこの資料は、なぜか凡例が省略されており、意図するところが十分には理解できない。なぜこのような不完全な資料を公開したのか、不可解に思う。

そのような理由で、漢字小委員会が公開しているデータの範囲では、客観的な字種の検討は不可能といえる。十分な調査結果の公開がなされなかったことを残念に思う*4。そこで、ここでは客観的な資料を必要としない範囲で、言えるだけのことを言おうと思う。

第2次試案で追加されたうち、「楷」は外すべきではない。公共性が高いからだ。この字は凸版調査(3)では順位外ときわめて頻度が低い。しかし、この字は役所の窓口におかれている申込用紙などでよく使われている(交ぜ書きの「かい書」もよく見かける)。そうした性質上、頻度調査では実態が明らかになりづらい。ある意味で頻度が低いのも当然だ。しかし、この字が常用漢字表に入れば、役所の窓口やそこに来る人々は助かるはずだ。

反面で、同じ順位外でも「錮」は外してよい。「禁固」というある程度普及した言い換えがあるからだ。もしかしたら、この字を提案した内閣法制局なりに「禁固」では言い換えができない切実な理由があるのかもしれない。しかし、漢字小委員会に提出された資料『新常用漢字表に追加すべき漢字について』での言及は、頻度に関するものにとどまっている。主張されていない以上は、言い換えはできるとするのが適当だろう。したがって、この字は不要と考えられる。

〔総合〕読み書き能力調査をしていない件

『国語分科会で今後取り組むべき課題について』(2005年)には、「「情報化時代に対応する漢字政策の在り方」を検討するに当たっての態度・方針」として、以下のようなことを書いている。

(2)実態調査については,漢字の頻度数調査だけでなく,読み書き能力調査,固有名詞(特に,人名・地名)の調査も実施する必要がある。(p.7)

この文書にもとづいて漢字小委員会が立ち上げられ、常用漢字表の改定審議がおこなわれることになったのだが、結局、ここにある読み書き能力調査はおこなわれないまま、最終答申は近づきつつある。これを私は非常に残念に思っている。

調査の必要性については、漢字小委員会で何度も言及はされたものの、実を結んではいない(第12、18、23、24回)。最近では、第1次試案の発表後に開催された国語施策懇談会(2009年3月26日)で、氏原主任国語調査官が「追加191字種について読み書き調査をやりたい」という趣旨の発言をしている。

試案では、字種選定の根拠として複数の大規模な頻度調査をおこなったことを誇らしく書いている(p.(8)-(9))。しかし、これらはすべて書籍、雑誌、新聞、ウェブサイト等、広義の印刷文字を対象としたものだ。

今回追加された196字種を、どのくらいの人々が読むことができるのか? 改定常用漢字表が掲げる各種調査によっては、この疑問に答えることはできない。あるいは、本当に審議の席で話されたように字画が複雑な字体の方が読みやすいのか? いわゆる康煕字典体と略字体を並べて、どちらの字体の判読率が高いかを調査すれば、現在の追加字種の顔ぶれはまた違ったものになったかもしれない。

つまるところ、実際に人々が読み書きできる範囲についての調査は、必要性は認識されていたものの、結局おこなわれなかった。これは記憶されておくべきことだと思う。すくなくとも文化庁は公的な場で多くの人々を前にして「やりたい」と明言したのだから、なぜ調査ができなかったかを説明すべきではないか。

〔総合〕〈手書き自体が大切な文化である〉の妥当性について

試案では「(4) 漢字を手書きすることの重要性」という一章を割いて、手書きの位置づけを試みている。このこと自体はよいことだと考える。また、この章前半の、漢字の習得及び運用面と手書きの関係についても、記述は一貫しており、実証する根拠が示されていない点は残念だが、まずは妥当なものと考える。ただし、後半の〈手書き自体が大切な文化である〉ことを論証する部分に疑問を感じる。

私自身は、手書きは大切な文化と考えている。だから、以下は内容の妥当性を問うものではなく、記述の妥当性をめぐる疑問とお考えいただきたい。これについて、試案は以下のように書いている。

後者の,手書き自体が大切な文化であるということに関連する調査として,同じ平成14年度実施の文化庁国語に関する世論調査」の中で,「あなたは,漢字についてどのような意識を持っていますか。」ということを尋ねている。この結果は,「日本語の表記に欠くことのできない大切な文字である。」を選んだ人が71.0%で最も多く,逆に,最も少なかったのは「ワープロなどがあるので,これからは漢字を書く必要は少なくなる。」の3.4%であった。漢字を書く必要性は今後もなくならないと考えている人が多数を占めていることは注目に値する。パソコンや携帯電話などの情報機器の使用が日常化し,一般化する中で,手書きの重要性が再認識されつつあるが,一方で,手書きでは相手(=読み手)に申し訳ないといった価値観も同時に生じていることに目を向ける必要がある。(p.(5))

「あなたは,漢字についてどのような意識を持っていますか」という問いに対して、用意された答えのうち〈日本語の表記に欠くことのできない大切な文字である〉を選択した人は、果たして手書きということを念頭において選択したのであろうか? コンピュータのディスプレイに表示される文字もまた、「日本語の表記に欠くことのできない大切な文字」であるはずで、この答え自体と手書きの関係は、とくにないと考えるべきだ。

〈手書きでは相手(=読み手)に申し訳ないといった価値観も同時に生じている〉ことも傍証として挙げられているが、残念ながら典拠は示されていない。となると、この部分は〈ワープロなどがあるので,これからは漢字を書く必要は少なくなる〉の3.4%だけを根拠として「手書き自体が大切な文化である」と結論づけていることになり、いささか根拠薄弱、牽強付会と感じる。

この部分は、情報化時代にあって、手書きをどう位置付けるかという重要な部分だ。もう少し慎重に論証すべきと思う。

〔総合〕「表の見方」の混乱について

「表の見方」12のうち、(2)に混乱がみられる。

(2)都道府県名については,音訓欄に「1字下げで掲げた音訓」が,原則として,その都道府県名を表記するために掲げた音訓であることを明示する場合に注記した。また,都道府県名に用いられる漢字の読み方が音訓欄にない場合(例えば大分県の「分」,愛媛県の「愛」など),その都道府県の読み方を備考欄に「大分(おおいた)県」「愛媛(えひめ)県」という形で注記した。したがって,すべての都道府県名を備考欄に掲げるものではない。(試案、p.2)

まず最初の一文だが、これは主語と述語がつながらない。主語は「都道府県名」、述語は「注記した」と読めるが、それでは「都道府県名を注記した」ことになってしまう。本当は何を注記したのだろうか?

次の〈また、〉以下の一文もおかしい。これを素直に読めば、〈都道府県名に用いられる漢字の読み方が音訓欄にない場合〉に限って、その都道府県名の読み方が備考欄に示されているように思える。しかし実際には、「茨」という字では音訓欄に1字下げで「いばら」の字訓を示した上で、備考欄にも「茨城(いばらき)県」と記載している。また「岐」では音訓欄で1字下げせず「キ」の字音を示した上で、備考欄にも「岐阜(ぎふ)県」と記載している。つまり、この記述ではすべての「備考欄に都道府県の読みを示す場合」を説明できていない。

なお、備考欄で都道府県名を示す場合、読みをつける場合と付けない場合があるのだが、この書き分けが「表の見方」で説明されていない。おそらくこの違いは、都道府県名を構成する漢字のうち都道府県名のために追加された漢字と、表内訓、表外訓をもつ漢字との組合せに由来するものと思われるが、これだけはっきりした表記の違いがあるにも関わらず、なぜ説明がないのだろう。

 最後の〈したがって,すべての都道府県名を備考欄に掲げるものではない。〉でも混乱はつづく。「したがって」という接続詞を使う以上、「備考欄に都道府県名を掲げない場合」とは、「音訓欄に1字下げでその都道府県の音訓を掲げた場合」か「都道府県名に用いられる漢字の読み方が音訓欄にある場合」に限られるはずだ。しかし実際には「山形県」に用いる「形」では音訓欄に「ガタ」はないにも関わらず、備考欄に「山形県」はない。

この一文は「表の見方」が本来期待されている機能を果たしていない。改善してほしい。

[総合]「*」の文字は「1 明朝体のデザインについて」が適用可能なのか?

改定常用漢字表の本表は29字に「*」をつけている。これについて「表の見方」12(3)は、以下のように説明する。

備考欄にある「*」は,「(付)字体についての解説」「第2 明朝体と筆写の楷書との関係について」の「3 筆写の楷書では,筆写字形の習慣に従って書くことがあるもの」の中に参照すべき具体例があることを示す。(試案、p.2)

つまりこの印は、本表に示された印刷文字字形と手書き字形の関係について注意をうながそうとしたものだ*5。その意図はよく理解できるし、意味のあることと思う。

しかし、「(付)字体についての解説」にはもう一つ、「1 明朝体のデザインについて」の項目がある。「*」がつけられた文字は、この項目が適用できるのかどうか、明確に示してほしい。というのは、同じ「表の見方」には、以下の一文があるからだ。

情報機器に搭載されている印刷文字字体の関係で,本表の掲出字体とは異なる字体(中略)しか用いることができない場合については,当該の字体の使用を妨げるものではない。(試案、p.2)

「*」がつけられた字には、JIS X 0213:2004で例示字体が変更された文字を多くふくむ。これは同時に同規格とJIS X 0208の例示字体の違いでもある。たとえばWindows 7では「詮」という字は「3 筆写の楷書では,筆写字形の習慣に従って書くことがあるもの」の括弧内の字体と同じものだ。一方で携帯電話の「詮」はこれと違い、同項目の括弧外(中央)のものと同じだ。

では、この項目を適用して、携帯電話の「詮」は、「付」にある〈本表の掲出字体とは異なる字体〉にあたると判断してよいのだろうか? しかし、この項目は手書き字形を対象としたものでしかない。印刷文字字形は対象外である以上、適用できないとも考える人がいてもおかしくない。

ここは混乱を避けるためにも、「*」がつけられた字と「1 明朝体のデザインについて」の関係について、明確に分かるような示し方を追加してほしい。そうでないと、せっかくの「付」の一文が無駄になりかねない。


〔総合〕引用符として< >を使ってはいけない

試案は引用符として、不等号の「< >」を多用している。その理由について氏原主任国語調査官は、本来の引用符である山つき括弧「〈 〉」は角度が浅く丸括弧とまぎれてしまうので角度の深い不等号を使ったと説明している。明確な表記を目指して不等号を選択した気持ちは分かるが、その結果、読みやすさを損ねていることを指摘したい。

JIS X 4051:2004『日本語文書の組版方法』は組版のJISだ。これを実装した製品の一つに、試案を作成したワープロソフト「Microsoft Word」(以下、Word)がある。試案ではJIS X 4051が想定していない文字を引用符として使うことで、Wordはページあちこちに本来あってはならないアキを作ったり、本来あるべきアキを作らなかったりしている。その結果、読めば意味は通るが、なぜか読みづらいページが出来上がっている。

JIS X 4051は、すべての文字を「文字クラス」というものにグループ分けし、それぞれの組版上の振る舞いを定義している。それによれば、「<」(不等号(より小))は「(1)〜(12)以外の和字」(以下、その他の和字)という文字クラスに属する。一方、「〈」(始まり山括弧)は「始まり括弧類」に属する。

文字クラスの違いは、たとえば行末禁則(行末にくることを禁止する処理)に表れる。JIS X 4051は「始まり括弧類」を行末禁則の対象とするが、「その他の和字」は対象としない。つまり、Wordは「〈」ならば行末にこないように字間を自動的に調整してくれるが、「<」ではそうした調整をしない。その結果、おそらく試案の作成者は「<」が行末に来ないように多くのテクニックを駆使するという、本来しなくてよい苦労をしたはずだ。ただしこのケースは、作成者の苦労の甲斐あってか(?)、実際の版面では上手に回避されているように見える。

試案でもっとも頻繁に見られる組版上の破綻は、アキ量(空白の幅)の不足だ。まずJIS X 4051の定義を確認しておくと、本来の引用符である「〈」の直前に仮名や漢字が来た場合、二分(漢字の50パーセントの幅)のアキが指示されている。一方で、不等号「<」の場合はベタ(アキなし)になるよう指示されている。同様に「〈」と対になる「〉」の場合も、直後に仮名や漢字が来た場合に二分のアキを指示する。しかし、不等号「>」の場合はベタだ。

組版の上から、アキは読みや意味の「区切り」を意味する。括弧の前後にアキを入れることで、括弧で括った文が区切られ、その部分が他から浮き上がり、判読しやすさが確保される。しかし、「<>」で括るとアキが確保されず、他の部分とまぎれて判読しづらくなる。試案には、こうした箇所が随所に見られる。

もっとも、あまり組版に馴れない人の中には、あらゆるアキを嫌う傾向があり、そのような人にとっては、かえってアキが出ない「<>」で括った方が「こっちが読みやすい」とする場合があるだろう。しかし、そのような人でも抵抗を感じるであろうケースに、終わり括弧類の直前に句点類がきた場合がある。

まずJIS X 4051の定義を確認しておくと、本来の引用符である「〉」の直前に「。」が来た場合、JIS X 4051はベタ(アキなし)になるよう指示する。一方で、不等号「>」の直前に「。」が来た場合は、二分(漢字の50パーセントの間隔)のアキが指示される。

その上で、試案「3 現行「常用漢字表」(音訓・付表など)からの変更一覧」(p.170)のうち、「語例欄・備考欄の変更」をご覧いただきたい。「3 堪」の項目に「>」の直後「。」がつづいている直前に「。」がある箇所があり、その間に二分のアキが入ってしまっていることが分かるはずだ。同様に「7 十」、「11 側」の項目にも、同様のアキが入っている。これらのアキは、すべて組版上あってはならないアキだ。ここでは不要なアキが入ることで、余計な区切りが生まれ、あるべき読みや意味を乱してしまっている。

改定常用漢字表が政策であるのと同じように、工業標準であるJISもまた政策だ。もしも改定常用漢字表の作成者が、自分達の政策を広く受け入れてもらいたいと願うなら、他省庁の政策も軽々に無視すべきでないと思うのだが、いかがだろうか。

*1:『漢字出現頻度数 順位対照表(Ver.1.3)』p.37、p.44

*2:JIS X 0213:2004運用の検証』国立国語研究所、2009年、p.26

*3:国語研究所「現代日本語書き言葉均衡コーパス」でもこれらA字体の頻度は低い

*4:ついでながら、今回の調査の目玉といえる『出現文字列頻度数調査』が一切公開されていないことも大変残念だ。

*5:なお、改定で「第2」が「2」に変更されたはずで、引用文中にある「第2」も「2」が正しいのではないか。ただし、この変更により文章の階層が分かりづらくなってしまった。元に戻すか、別の表記を考えていただきたい。