第39回国語分科会が開催、字種候補案が承認される

本日午後2時より霞ヶ関ビル33階にある東海大学校友会館で第39回国語分科会が開かれ、先日の漢字小委員会で配布された字種候補案が提出、何事もなく静かに承認されました。


とまあ、今日のお勤めは何もなかったことを確認に行くことだったのですが、思わぬ拾い物(というと大変失礼ですが)だったのがもう一つの日本語教育小委員会の報告。この日本語教育とは子供たちへの教育ではなく、外国人に対するものです。いずれ報告書と議事録が公開されるでしょうから、正確な内容はそちらをご参照ください。でも聞いていて、報告は総花的というか、門外漢には何がポイントなのか、初めのうちはもう一つ分からなかったんです。

ところが漢字小委員会出身の委員(国語分科会は両小委員会の委員により構成)、この方は教科書会社の役員の方と記憶しますが、「外国人向けの教科書は検討できないのか」という質問をしたんですね。これに対する形で始まったやり取りが面白かった。

つまり、外国人向けの日本語教育においては、ある種統一された検定済み教科書を与え、テストを課してその点数で優劣を決定するというような発想自体が適用できない。なぜなら日本語を学ぶ外国人の国籍が多様なのは当然として、そのスキルも、目的も、なにもかもバラバラだから。だから、どうしても個別の対応、それも現場レベルに大きな裁量を与えたものにならざるを得ない。

さらに国自体の政策が単純労働者をなるべく入れず、数を絞って技能者や留学生を入れようとする方向にあることを前提にせざるを得ない。したがって、教科書のようなものがあればいいだろうけど、それがどのようなものが有効なのか、なにをどう教えればよいのか、そうした教具体策以前の枠組みを手探りしている段階のようなのです。どうりで報告が抽象的なものであるわけです。

町に出れば普通に外国人労働者に接するこの現状からは、泥縄と言わざるを得ないのですが、恐らくそれを一番自覚しているのは当の委員の方々自身でしょう。経歴を見ると皆さん現場を代表して出てこられているようですから。これは大変だ。

さらに言えば、この質問をした教科書会社の方にも、そのような質問をする背景があるのです。つまり外国人への日本語教育が追いつかないので、おたくの会社で何かできないかというような話が持ち込まれているようなのです。そうした中で教科書会社なりに現状を打開しようと先の質問になった様子。もちろん彼にとっては新しいビジネス・チャンスという側面もあるでしょうが、つまりあちこちで問題が火の手を上げ始めているのですね。

委員会が終わった後、ある日本語教育小委員会の委員の方に話しかけてみました。ぼくが聞きたかったのは「日本語を覚えたい外国人にとって、常用漢字表は何ができるか」ということ。その方は開口一番、常用漢字表というのは、すでに日本語を読み書きできる人に対するもので、これから覚えたい外国人に対するものではないと明解におっしゃいました。むしろ常用漢字表以前に、まず漢字を読めない人を意識して書く必要性があることを強く指摘していました。つまり、われわれ「日本人」自身の意識を変えていく必要があると。

すでに日本人の中に日本語能力の格差が存在するという現実。そうした多様な読み手を意識することの延長線上に、漢字を読めない外国人への配慮に対する解答がある。そうしたことを踏まえれば、市町村の公共サービスを告知する文書などでは、当然字種を厳しく制限すべきと言い切りました。そうした誰もが接するべき公用文は、たとえば審議会の報告などとは別物で、格段の配慮が必要だと。

外国人向けの漢字表については、必要性は感じているが現状では検討する以前の段階。「鬱」などとうてい外国人には読めない字が字種候補案に入り、全体として字数が増えていることは、気にはなるけど現状では仕方ない。なぜなら使用目的が異なるものだから。

短い時間だったので、残念ながら十分にお考えを理解できたとまで言えませんが、外国人への日本語教育の問題がこれから大きなテーマになるだろうことはよく理解できました。この問題はこれからよく勉強したいと思います。