「束縛」という視点について (3)

前回は文字について国の標準や政策を批判しようとする際、たいていは「社会的な混乱」という視点で語られてきたというところまででした。そして、ぼく自身がそうした視点で原稿を書いていたと。自分でもいいのかなと思ったんですが、この「社会的な混乱」を云々すると、とたんに書くものが大上段、上から目線になっちゃうんです。あたかも「社会」なるものを自分一人が背負っているみたいな。

これをもう少し腑分けすると、ここで語られている「社会」とは、筆者自身が含まれているのは当然として、施政者、そして国民全体をふくんだニュアンスがありませんか。つまりこの「社会的な混乱」での「社会」とは「わが国=日本」に他ならないのですね。

一方で「束縛」と言ったとたんに、その対象はうんと明確で、しかも客観的な視線になります。少なくとも「国家」なんて大袈裟であやふやで虚言じみた話にはなりません。どうしてなんでしょう?

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