トンのこと

15日の夜11時半、そろそろカレンダーも変わろうかという頃。
もう寝るかと思っていたら、奥さんが「トンが死にそうだよ」と。
「死にそう!?」


トンっていうのは、うちの2匹の飼い犬のうち1匹で雑種の雄犬。
子犬の頃に阪神大震災で迷っていたのを引き取ったもので、そのせいかちょっと性格が悪い。
夏頃から食が細くなり、ペットフードを色々変えてみる毎日だったけど、
この数日来は2食に1食しか口をつけようとしない。
散歩の時も遅れるようになって、明らかにおかしい。
前日には咳き込んで失禁までしてしまった。


この日の夕方、仕事を一段落させて近くのI動物医院に連れて行ったところ、
気管支炎を発症していることが判明。
ついでに先天的な異常があった股関節が関節炎をおこしているという。
なるほど、のどが痛いから食が細り、関節が痛いから歩くのが億劫だったんだね。


原因が判明してちょっとスッキリ。薬をもらって帰ってきたその夜のことだった。
あわてて2階に上がってみると、足を投げ出して横になり舌を出している。
ハアハアと息が荒く、脱糞している。こりゃたしかに死にそうだ。


診察券を探し出してI動物医院に電話。すぐに見てくれることになって、
奥さんと一緒に車に運び込んだ。


到着後、すぐに診察台に乗せ酸素パイプを口にくわえさる。
ついで電極をつけ心電図を表示させ、触診をはじめる。
いくつか質問の後、くだった診断は心臓発作。以前から弁膜の調子が悪かったが、
なにかのきっかけで弁膜を支持する羂索が切れ、肺水腫を引き起こしているそうだ。
薬を投与することでだいぶ落ち着いてきたことを確認後、酸素室に入れ絶対安静。
とにかくこのまま見守るしかないという。1時間後、ひとまず引き揚げることにした。


翌日夜7時、無理をいって様子を見に行くことを許してもらった。
ドアを少しだけ開けて、横になっているトンを見る。
わずかに体が揺れていて息をしていることが分かる程度。
肺水腫は引いたが、経過はあまり順調とは言えない。依然として危険な状態だという。
引き続きI先生は24時間体制で見守ると言ってくれた。


この文章を書いていた最中、電話が鳴った。
思わず時計を見る。夜の0時20分すぎ。
ディスプレイの番号表示で、すぐに相手はI動物病院と分かる。
受話器を取ると、I先生は厳しい声で言った。
急な発作で心臓が止まりそう。急いで来てください。
寝ていた奥さんを起こして車で急ぐ。


しかし部屋に入ったときには、すでに心電図は平行線しか表示していなかった。
たぶん一番ガックリ来ていたのはI先生だったと思う。
我々二人は事態がよく飲み込めず、ただトンを撫でるばかりだった。
悲しいというのとはちょっと違う。撫でればまだ温かいから。
「苦しまなかったからよかったです」そう奥さんは言った。
うんこの匂いがする。最期に脱糞したのだという。
人はしょせん糞袋っていうのは、こういうことなのかな。
いや、人じゃないけどな。


わざわざI先生はトンを車まで運んでくれた。
玄関の前で背筋をピンと伸ばして見送ってくれる先生にお辞儀を返しながら、
われわれは家までゆっくり車を走らせた。