『基本日本語活字見本集成本OpenType版』のこと (2)


昨日書き終わってから気づいたんですが、版元のサイトでもようやく紹介が始まったようですね。


ぼくの名前が誤植だったりするのはご愛敬。ついでながら本の目次も間違っているという(さすがに記事では合っている)。それはさておき、この原稿を書くにあたっては、安岡孝一さんの以下の本を参考にさせていただきました。




兄弟編にあたる『文字符号の歴史 アジア編』と合わせ、史実としての文字コードを語りたければ抜きにできない、記念碑的な文献と思います。ぼくは読み始めるなり、註のところに赤線を引っぱりはじめました。後に続く者として参照すべき未見の記録や文献を山のように引いてくれており、「こんな貴重な情報を惜しげもなく出してくれて、なんて気前がいい」と思ったのです。


もちろんこの本の価値は、丁寧な註にあるのではありません。それらにもとづき積み上げられた著者の史観こそに価値があるというべきでしょう。あまりに詳細な「史実」がびっしり書き連ねてあるので、つい見過ごしてしまう人もいるかもしれませんが、あたかもこの本が客観的な事実だけを書いていると思ったら大きな間違いです。たしかにそこにあるのは文献に裏付けられた歴史的事実でしょうが、その並べ方や取捨選択は著者の主観以外の何者でもなく、その点を読み取ることこそが歴史書の醍醐味でしょう。本書の価値は、膨大な資料を自在に引用しつつ著者が紡ぎ出す、一筋縄ではとてもいかない文字符号のロング・アンド・ワインディングロードの道行きにあるのです。


ただしそのような目で見ると、いくつか異論を唱えたくなる部分がないでもありません。たとえばこの本では、シフトJISについて冷淡ともいえる扱いをしています。JIS C 6226(後のJIS X 0208)の制定と'83年改正の合間に、あっさりと文章にして半ページほど書かれているだけです*1シフトJIS全盛の1980年代末からパソコンを使い始めた身としては、どうしても不満は残るわけです。


3月に京都に行った折り、著者にこの点をお聞きしたところ、各社の実装をすべて調べた上で、あまりにバリエーションが多すぎてとても全部は収録しきれない、ならばと思い切ったということでした。なるほど、やはり調べるべきことはきっちり調べておられたんですね。


それでもなぜ今日メーカー各社がUnicodeの実装に走ったのかを考えるには、シフトJISという符号化方法が何ができて何ができなかったのかという検証を抜きにはできないはずです。ぼく個人はUnicodeの扉を開けたのは、シフトJISの外字だったと考えています。あの大失敗があったればこそ、統一された、広大な、そしてエスケープシーケンスを持たない符号化方法が要請された。そうしたニーズに合致するものこそがUnicodeISO/IEC 10646)だったのではないか。


そしてもう一つ。その叙述の方法としては規格と実装を峻別するべきです。なにも安岡さんのご本に限らず、従来文字コードの歴史が書かれる際には、きまってこの2つが渾然一体で書かれていました。しかしそれでは正確に事態を解き明かせません。たとえばJIS X 0208の保留領域にメーカーが外字を収録し、これが情報交換にあたって文字化けとなりました。これは実装の問題です。他方で、83JISは4組8文字の符号位置入れ替えなど多くの非互換変更をおこないました。これも同じく文字化けの原因となりましたが、これは規格の問題であり、実装による文字化けとは出自が異なるものです。この両者を区別しないと、世に言う83JISの混乱の正確な実態をつかむことはできないと思うのです。


以上のようなことを考えて、この本の原稿を書いたわけですが、まあ言うは易しというものでして、これは本当に大変でした。規格の話を書いているつもりが、いつのまにやら実装の話を書きはじめている。頭がなかなか切り替わらないんですね。それから、やはりまだまだ不勉強。調べるべきことを全然調べてないまま書いていると思い知りました。肝心の各社シフトJIS実装の資料にきちんと当たっていません。以下のような図を作成しました。



元の図は1メートルに及ぶようなものなので、きっと字がつぶれて何が何だか分からないでしょうが、これは左からJIS X 0208:1990、IBM DBCS-PC、FM R、PC-9800シリーズ、マイクロソフト標準キャラクタセット、漢字Talk6.0、漢字Talk7.1のキャラクタセットを区点で積み上げたものです。日経バイト1996年5月号と『CJKV日中韓越情報処理』を参考に作成したのですが、やはりここは1次資料でまとめるべきだった。細かく見ると我ながらツッコミどころがたくさんあります。本当にこれは情けない。こう書いたからといって文責が自分にあるのは変わらないが、機会があればなんとかしたいところです。


ちょっと長くなったんで、今日はこの辺にしておきましょう。慚愧の念にかられるところはまだまだありまして、そうですね、次はJIS X 0212の話でもしましょうか。これがまたすごいんだ。それからWindows Vistaのグリフセット、もう壮絶なものですよ。

*1:ただし、いくらあっさりとは言え、この本以前には謎につつまれていたシフトJISの誕生を、1982年の三菱電機MULTI16上での実装と比定しただけでも偉業とよぶべきでしょう(p.151)。